- 2009年6月 5日 21:21
- 本と映画と音楽と

わたしがラジオを聴くのは運転しているときだけ。
昨日、ふとドライブ中に流れて来た椎名林檎の「ありあまる富」を聞きながら、やっぱり好きだなぁと思った。わたしは歌はあまり聞かないし、歌わないので有名な曲ですら知らなかったりするんだけど、それでも時々すごく好きだと思う曲が出てくる。そうするとエンドレスリピートでずーーーと聞いていたりする。
人間はみんな自由であるべきだとわたしは考えていて、もちろん不自由でいることですらすべて自由よね。その中から選択を繰り返している。だからね、どんなことが起こったとしてもすべては自分のせいだと思うの。自分の選択の結果だと。
誰かが何かしたせいで・・・と思ったことなんてただの一度もない。第一わたしが何をするかは私の問題で、他の誰も決められることじゃないじゃない、と思う。わたしのかわりに誰かが生きてくれるわけじゃないでしょ?
失うものがあるとしたら、それは失う運命にあったというだけのこと。失う選択をある時点でしていたということ。もちろん、そのときそのときで環境は違うけど、でもその環境は自分が変えられるものじゃなかったと思う。変えられる物はそのときに変える選択をしているはずだし、それが出来ないということは選択ミスだと。
第一、奪われてうだうだいっているよりも、失った何かとは別のものを手にすればいいだけだと思う。もしかしたら、もっと素敵なものを手にするチャンスかも、とも思うし。わたしには必要なかった、と思う。(笑)
嫌なやつね、わたしってば。もちろん何かを失えばどーんと落ち込むけどね。
でも、本当は失って困るものなんてひとつもないんじゃないか、と。自分以外はね。今までもそうだったし。
人はみんな違うし、でも一方でもしかしたらこの人と自分は近いのかも、と思うこともある。
でもホントのところは、簡単にまねできるものに価値なんてない。そんなのは本当の価値じゃないと思う。簡単にコピーできるものを価値だと思っている人がいるなら考えなおした方がいいと思う。この世はそんなものばかりのような気もするけどね。
才能があるとしたら、少しくらい真似されたり、奪われたりしてもたいしたことないはず。何度でも作り直せるわ。ゼロからまたはじめればいいだけ。それが本物でしょ?本当のことってそういうものだと私は思うから。
そしてそういう自分になりたい、とずーと思って生きてきたから。それがわたしの答え。(もちろん、そうじゃない人がいても構わないしね)
こういうことをいうとたいてい、何も失ったことがないからでしょ、とか言われるんだけど。そんなことありません。でも結局は考え方だと思う。誰かのせいにしていたら、いつまでたっても価値ある自分にはなれないもの。






















