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あたまのナカミ Archive

ようこそ32歳。

hommania

無事に32歳を迎えてしまいました・・・。

オンタイムにお家にたどり着き、なんだかあまり情緒のない誕生日のはじまりですが、今夜もとっても素敵な時間を過ごすことができました。(こんな素敵なhommaniaキラキラステッカーをいただきました!)

本当に、ほんとうに、ありがとうございます。

わたしのまわりにいてくれて、本当にありがとう。

ただ息をするだけではなく、充実した毎日を過ごすことができるのも、周りに恵まれたおかげだと心からそう思います。

いままでありがとう!
そしてようこそ、32歳のわたし。

というわけでただの数字の羅列ではありますが、まあ今まで通り「hommania」として、ふつうのオンナノコの日々をつづっていけたらいいかな、と思っています。

今年も素直にまっすぐに、わたしらしい毎日を過ごしてみようと決めました。

FacebookとTwitter、ついでにGoogle [1]

わたしは最近、FacebookとTwitterについてゆるーく考えています。

とはいえたいした頭ではないので、考えることに限度はあるんですけど。まー、もつろん、ワタクシにすんごく頭のよさそうな意見は求められていないので、その点は安心です。ついでにGoogleさまについても考えてます。王者に対して「ついで」とかいってる時点でボコられそうなんですけど・・・。

そもそも、個人的な疑問として、、、

どうして、FacebookよりTwitterに人気が集まってるの?

これがよくわからん、と思ってまして。しくみとしては、絶対Facebookのほうがよくできてるんですよ。というか、複雑ね。考えなきゃいけないことがたくさんあるし。いろんなサービスの複合だし。

Facebookでつぶやいて・・・Twitterでつぶやいて・・・ついでにgoogle+でも・・・・ってそんな時間どこにあるんですかね?まずめんどくさい。ぜーんぶまとめて一気に投稿できるならいいけど。

それより何より、私にとってTwitterがどうも響かないのは・・・「140文字で伝えたいことなんて何もない!!!」ということなんですよ。わたし、くだらないことばっか、Blogに書いとるし。twitterに書いちゃったらblogに書くことなくなるやんけ!ぺぺぺっ、と思うわけです。(あっ、ぺぺぺっ、はいらない?)

わたしのように、もうすでにある程度blogというメディアがあると(それを中心に考えざるを得ない)せいぜいblogの更新情報をTwitterサマを使ってる人に告知させていただく、くらいしかつぶやくことがない!のです。(ブログ読者さまへのサービスの一環です←いやらしい)

「どこどこなう!」とつぶやくよりも、Facebookで「チェックイン」するほうが早くね?というか候補がでてくれるし。なーんて最近は思ってます。

じゃあ、FacebookとTwitterとどう違うか?というと、ズバリ、匿名文化ではないか、と。Twitterでは自分の身分を詳しく、正確に入力する必要なんてないわけです。ぶっちゃけ、テキトーなことつぶやいて、炎上したところで「知らないもんねー」とすることができる。だからそういうことをしたければ、絶対にBlogとかFacebookとかとつなげちゃだめです。更新情報や本名を入れたりするアカウントと別にもうひとつ「匿名アカウント」を作る必要があるわけです。(これはBlogもおなじだけどね、でも記事は残るのでやや難易度UP)

逆にいえば、「匿名アカウント」では本当はいいたいけど実名ではいえないことをリークすることができる!わけです。オレじゃないし、と。これをワタシは第二次オレオレ詐欺と呼んでおります。(嘘です)

いや、でもあながち嘘じゃないかも・・・わたしなんかには想像もできない頭のいい人たちがTwitterオレオレ詐欺の方法をみつけるかもしれない・・・。息子のフリしてアカウントをつくり・・・老人とコミニケーションして、ある程度信頼されたところで、メッセージで振込先指定・・・みたいな?下手にPCが使えるとおこりうるよな・・・あっ、妄想しすぎ?そんなの誰も引っかからない?あははー。

とまあ、なんかマイナス方向にどうしても「匿名」だといってしまう仕方ないオンナです、すいません!

そんなことを加味すると、相当「自分フィルター」に自信がない限り、Twitterの匿名性の高い情報を鵜呑みにするのは危険だし、そもそもすでにおぼれそうな情報社会においてこれ以上おぼれたくない・・・(ただ単にめんどくさい)のでTwitterって本当にいいの?とかってワタシは思っちゃうわけです。もちろん、使い方次第ですが。

実生活のコミュニケーションという意味では、震災で注目されるべきは、実名登録で関係性のよく見えるFacebookの方だったはずです。でもなぜかTwitterがフューチャーされた。

と、すると、知らない人とFacebookはつながりたくないので、ゆるーいつながりならTwitterということになる。新しい出会いはTwitterで。出逢った後はFacebookね、となるわね。

あれ?

Twitterのライバルは実はBlogだった!?

とそんな気がしてます。
blogが必要ない人にはTwitterは必要だわね。

もしくは別のTwitterの使い方がみつかったら、ヘビロテするかも?うーむ。

というわけで、ゆるーく考えていたらすっごい長くなってしまったので、パート2に続く。(のか?)

今夜のつぶやき。

GINZA

こんばんは、ほんまちゃんです。

今週末もあっという間に(たいして、なにもしてない・・・)過ぎちゃったなぁ、という感じでした。今週はお盆がスタートするのだけど、みんなそろそろお休みモードなのかな?

わたしはたいていお盆休みは働いていることが多いですね。電話もいつも以上に少ないし、いろいろとはかどることが多いもので。

さて、ふと思いついてスタートしたブログのカテゴリー分け、まずは旅関係からかなり必死にやっているのだけれど、ぜんぜん終わりまへん。ちょっとずつ、わかるかなぁ・・・わからないかなぁ・・・という程度の変化を楽しんでいただければ。・・・というか、みんなアーカイブ見てくれるのかな、という不安はあるのですが。

でも何よりも、自分の復習にはなるので、楽しんでおります。あとで見返すとき楽だし。いまさらですが、結構・・・というかものすごく海外行ってるなぁ、とひとりツッコミしとります。

よく、どうしてそんなに海外に行けるの?

と聞かれるのですが、そんなもの、理由なんてありまへん。

行く、と決めたら行けるのです。

お金だって、場所だって、時間だって、仕事だって、何が何でもなんとかする。そういう気持ちさえあればなんとかなります。なんかこれって人生も一緒だなって思います。できない理由を探すんじゃなくて、できるようにする。なんとかする。自分が好きなことを貫くのに、誰の許可も必要ないでしょ?自分に自分で許可を与える。それだけでいいはずなんです、ホントはね。

でも、みんながわたしみたいだったら、困るわけで。私の答えはわたしだけのものでみんなのものではないですから。結論に対しては、ひとそれぞれに自分の答えがあるんじゃないかしら、と。わたしたちは毎日目の前の選択肢を選び続けているわけです。意識していても、していなくても。

でも、自分自身で意識して、決めるってことは人生にとってとても大切だとわたしは思ってますよー!

そうすれば、後悔は少しですみます。
いつも思い通りになることばかりではないけれど、少なくとも、自分で決めたら自分で責任をとる、しか選択肢ありませんから。そういう方向に持っていく努力ってホント大切。

誰かのせいにしても、そんなことじゃ何の解決もできないもんね。
そして、それって合理的でないと思います。

わたしは、今の世の中があきらかに合理的に向かって動いているってことはそれが、人類としての歴史の中でベストだからだと思うのです。より多くのひとが幸せになれる、ベストチョイス。

正解かどうかは知らないけど、とりあえずベストチョイスを選ぶっていうのが、やっぱり一番だよなぁ・・・と考える夜なのでした。

まつげにピント

ほんまちゃん

その昔、まだわたしがものすごーく若かったとき(10代の後半)に、写真と出逢った。
そして、この写真を見たときに一番に思い出したのが「まつげにピント」だった。写真の基本はまつげにピントがあっていることだから、と教えてくれたことを今でもちゃんと覚えている。

18歳ではじめて写真と出逢って、芸術とは程遠い人生を歩んできたはずのわたしの生活に写真展めぐりが加わった。とにかく、いろんな本物の写真や美術を見て回った。飽きるくらい毎日。学生だったし、時間は信じられないほどたくさんあって、まわりにはいっぱいの大人や美女がいて、自分が彼女たちと比べて劣っていることは容易に想像できた。わたしはただの無垢な少女だったから。けれど、そのまっすぐさがよかったのかな、と今では振り返っていたりする。何もわからず、ただ必死にまっすぐだったから。おかげで目上の人に本当にかわいがっていただいた。もちろん、変な意味じゃなく。

きれいな人は世の中にたくさんいて、自分がとってもちっぽけに思えた。その気持ちは今でも変わらずにそのまま残っているけれど。わたしは私だけの魅力を見つけたい、とますます強く思った。

本物をちゃんと、自分の目で見ることの大切さを教えてくれた非常にいい写真を撮る人がわたしの写真をよく撮ってくれて、目をかけてくれた。ひとつひとつ丁寧に写真のことを教えてくれて、今思えばそれは不思議な経験で、とてもありがたい思い出。

もしかしたら今、わたしが写真を撮ったり、サイトのデザインをしたり、そういったデザインの仕事ができるのは、このころに磨かれたおかげなのかな、と思う。

どちらにしても、過去を振り返ると、運命の出逢いだったのかな、、、と思う出来事がきちんとつながるのが面白い。人生に無駄なことなんてひとつもない。いつもそのときそのときにやりたいことをやっていくのは怖いけれど、後から振り返ると、きちんと繋がっているからきっと大丈夫。

だから今でもわたしは、本物に強く惹かれるのかな、なんて思う夜。

 

 

ズルさに潜む大人の純粋

またまた中野香織さんのブログで気になったリリー・フランキーさんの言葉。

ゆるーいキャラでおなじみのリリーフランキー氏。

上手に文章を書くコツは以下の通りだそうだ。

・本当に思っていることを書く。
・きらわれてもいいし、お母さんにおこられてもいいから、本当のことを書く。
・人にこう見られたいとか、こう思ってもらい たいとか、これを書いたら売れないだろうな、とかいうよけいな思いが入ると、つまらなくなる。
・こんなものを書いたら恥ずかしい、くらいのほうがちょ うどいい。
・そもそも表現をするとは恥ずかしいこと。恥ずかしいことを書くからこそ、いい。

つまり、自分をさらけ出して書く、ということ。
リリーさんの魅力はズルさと素直さのバランスだと思う。

よくよく考えてみると、ブログも本来、プロなら書かないような本音が聞きたい、という欲求を満たしてくれるからこそのメディアではないか、と。

まあ、わたしなどははじめから多くの人に読んでもらうつもりもなく、(もちろん今もない)だから顔まで出して、つけまのレポートまでしちゃって(笑)、自分の本音をこうして書き綴っているわけだが。

わたしは匿名文化が嫌いなのである。だれかを批判するときは実名で書く。むしろいいことをしたときは匿名でもいい。でもホントは実名でいいんじゃない?別にダテナオトではなく、実名で寄付すればいいじゃないの、と思う。

いいことをしても、悪いことをしても、目立つだけでたたかれる文化が怖いのかもしれないけれど、そんなことどうでもいいじゃない。そもそもみんなに好かれるなんてのは無理なのですよ。自分が好きな人に好かれるように努力するのが好き。無駄な努力はしたくない。

大人はズルいのである。それは当たり前だから本音を思わず言ってしまう純粋さの残る大人、リリー氏をわたしたちは愛するのではないか、と思う今日この頃。
 

食べるという教養

食べるという教養

この世でもっとも生に近いこと。

それは「食べる」ということ。人に限らず、生き物は食べることなしには生き続けることができない。そして、ただ食べることで生き続けることはできるが、幸福にはなれない。

わたしたちは1つ100円のカップラーメンで生をつなぐことはできるが、それでも美味なるものを求めて、時には(カップラーメンを基準にすれば、だが・・・)100回分の食費を1度に使うこともあるし、300回、場合によっては1000回分を一度で消費することもある。それを無意味だ、という人もいるかもしれないけれど、教養とはすなわち、無駄を受容できる余裕なのではないかしら。

わたしは、語学ができる以上に感性を磨くことが、これからの時代は必要になると思う。語学は技術が進歩すれば、機械がカバーしてくれるかもしれない。でも経験や機械では測れない感性そのものが「教養」になっていくと思う。

というわけで・・・この春、少し「食べる」ことについて考えてみませんか?ということで、わたしも通っていたスクーリングパッドで「レストラン」の仕組みについて勉強してみるのはどうでしょう?

なんか春になると、むくむくと新しいことが勉強したくなるほんまです。うふふ。

スクーリングパッドの魅力はその濃い人間関係を作れる、というところにあります。また少人数のスクールなので、有名なレストランの経営者や飲食にまつわる成功者からの話がダイレクトに聞けるところが魅力かと。わたしは飲食業にはついていないけれど、ビジネスの本質を学ぶにも生きる基本である「食べる」ことを学ぶ、いい機会をいただきました。

というわけで、今年は「食べるという教養」を身につけるのはいかが?とりあえず、説明会へいくのも面白いですよー。

 

スクーリング・パッド レストランビジネス学部
第12期生募集中!!!

・期間
2011年4月2日~7月2日  
・日時
毎週土曜日 10:00~13:10
全12日(24コマ)
・会場
世田谷ものづくり学校
・申込方法
まずは無料の学校説明会へ
http://www.schooling-pad.jp/setsumei.shtml

今日気になったさまざまなTOPIC

なんとなく、ドタバタとした毎日が少し落ち着きを取り戻したので、今日気になったTOPICでも紹介してみよう、という実験的(思いつき)企画。

というわけで、今日気になったNEWSは・・・

「ずっと不幸でいるのか、幸せになろうと努力するのか」
モデルの「Lea T」を取り上げた記事。中野香織さんのブログより。

ケイトモスとリーティー ラブマガジン

ちなみに「Lea T」は、ブラジル出身のモデルで元男性という異色モデル。しかもパパは元サッカー選手。ジバンシーの広告に出てます。ちなみにLOVE MAGAZINEの表紙、ケイトモスとのキス写真が評判になってますぜ。

インタビューでの「後悔はない、ずっと不幸でいるか、幸せになろうと努力するか」との発言に注目。

わたしも後悔しない人生、幸せに貪欲でありたいな、と思っているので妙に印象に残ったのかも。人が人に惹かれるのはもしかしたら自分の中のコアな部分に響く何かを見つけた時なのかな。

さて、もうひとつ。
ぷら子ちゃんのブログがUPされました。

アフリカのお正月と日本の恋しいもの

大きな貧富の差と安全に暮らせることの幸せ。いつもながらぷら子ちゃんのレポートには考えさせられることが多いです。また本当のアフリカを知ることができる重要な情報源でもあります。

エジプト問題(フィフィさんのブログ記事が秀逸)や中国問題も、こうして世界は急速にひとつにならざるを得ない時に外国のことについて知らないのはかなりのリスクだと考えています。本当の世界情勢を知ることで、情報をコントロールされない生き方をしたいものです。

新年のあたまのナカミ

謹賀新年でございます。

なんとなく、お正月は背筋がピピピと伸びて厳かな気持ちで出発・・・というよりも、むしろ、だらりんとしてしまう、そんなわたくしほんまです。というわけで、だらだらに終止符を打つべく、新年早々近所のスタバでスタバワークでもしようかな、と言う気分でおります。あくまで気分ですが・・・。

まずは景気づけに、一年の目標をたてて、しばし公開していなかった「あたまのナカミ」について考えてみることに。今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

ローマ

今年の目標!それはズバリ・・・幸せでいること。
わたしは、人が幸せであることの第一条件は、自分自身が幸せだと感じることだと思う。どうせ生きて呼吸をするならば、幸せでいないとつまらない。誰も自分のことを不幸にはできないし、自分を幸せにするのも、不幸にするのも自分自身。

どうしたら、自分は幸せにいられるだろうか?

毎年飽きることなく、この質問を自分自身に投げかける。自分は不幸なのに、誰かを幸せにすることはできないし、自分が幸せでいることが誰かを幸せにするってことだと思う。だって人は完全に誰かのものにはなれないし、仮に無理矢理、強制してやったことに何の意味があるというのだろう?そんなものに価値が生まれるとは思えない。それならば誰かに対してできるのは、信じて応援することだけしかない。もちろん、納得して理解してもらう努力は必要だと思うけれど。

「人間は、人間とつきあい、人間のことを考え、人間を理解しようとし、人間に頼み事をし、人間を利用したり、人間をよろこばせたりしながら、生きていくものだ。」

ある場所でこの言葉を聞いたときに、これって本質をついているなぁと思った。わたしは人間が好きだし、人間について知りたいとずーと思って生きてきた。わたしはとても不器用で、決して人間づきあいがうまいほうではないけれど、でもだからこそ今まで生きてこられたのではないか、な。

そして一方で、利用されるだけの価値のある人間になりたい、とも思って生きてきた。

人は、利用されることでは傷つかない。利用されることでどんどん大きく美しくなるんじゃないかな。人は経験することでしか磨かれないし、変わることができなければ、死ぬしかない。何もしないことが罪になることもある。何もしないことが安全地帯であってはならない。

バカでもアホでも、不器用でも、ただまっすぐに何かを好きだと思うこと。自分のことを信じること。自分が信じる人を信じ続けること。そしてズルをせずにコツコツとがんばること。誰かからの期待に答える努力をすること。いつもいつも真剣に世間のルールではなく、自分だけの答えを求め続けること。人間って好きなことはがんばれるけれど、嫌いなことはがんばれない生き物だと思う。どうしたら、自分の好きを生かせるか、どうしたら、自分の嫌いをカバーできるのか。そんなことを常に考えていけたらいいな、と思う。

一見、正しそうに見えることに流されると、それは楽で居心地がいいけれど、わたしは弱いのでどこまでもずるずると落ちていってしまいそうな気がするのです。たとえ多くの人に誤解されても、自分が本当に好きだと思う人たちが本当の自分について知ってくれていればいいか、と今は思うし、すべて完璧じゃなくてもいいか、とも思える。けれど、自分自身が自分のことを嫌いになるようなことだけは絶対にしないし、譲らない。そういう一線だけは守りたい。

ヴェニス

今年はどんなことが起きるんだろう?
どんなチャンスや出逢いやさよならが待っているのかな。

どんな未来が待っていたとしても、いつも笑顔でポジティブに、チャレンジし続ける一年にしたいな。
今年もどんな日々が待ち受けているのか、ぜひこのblogとともに歩むいちねんを大切にみなさんと過ごしていけたらと思います。そしてみなさんを1ミリでも幸せにできるような影響を与えられたらうれしく思います。

今年も一年、よろしくお願いいたします!!!

代々木公園のカフェにて

カフェ

先日、お仕事でものすごく久しぶりに代々木公園へ。
出口をすぐ出たところに素敵なカフェがあって、そこでお茶してみました。

ここのところバタバタとしていて、なんだか落ち着かない日々だったので、11月に入ってちょっぴりホッとしています。

わたしはわりとリラックスするのが苦手なタイプで、定期的に外国を旅したり、おいしいものを食べたり、サロンへ行ってマッサージしたりして、非日常でストレス発散するようにしています。

実は、今月から来月、再来月にかけては旅の予定がいくつもあって、すごくワクワク。

私は特別何かが欲しいというのはないけれど、ひとつひとつのことを丁寧に体験して、自分の中にそういう人間値みたいなものを貯金できたらいいなぁと思っています。

お金はいつかなくなるけれど、経験だけは無くならない。
わたしはもうずいぶん前からそんなことをモットーにしています。

素敵な人とたくさん出逢って、いろいろなものを自分の目でみる。感じる。いっぱい失敗や大変な目にもあうだろうけど、逃げたりしないで、きちんとそこでがんばることができれば、何が起きたって平気だ、と思えるんじゃないかと。

本当に好きなことだけは譲らずに、けれどしなやかさを持って、たくさんのことを受け入れて、許して、知って・・・そんな風に年を重ねていくのが今のところの目標かな。

いつか言った言葉、自分を幸せにするのも自分、自分を不幸にするのも自分。
どうせ生きるなら、幸せでいたい、と思うのです。

今日はちょっとお休み

本当はブログレポしたかったのだけど、ちょっとエネルギー不足なので、今日はおやすみ。また明日続き書きますね。

ロクヒル

今日、ふと思ったこと。録画しておいた情熱大陸を見て。ちなみに、宇宙飛行士の山崎さんの回。

自分の夢を叶えらるチャンスを手にできる人はごくわずかで、そのごくわずかに入ったとしても、それはきっと、ただ幸運なだけじゃなくて苦労や葛藤や犠牲が、そして幸せがあるんだということ。

わたしたちはついつい他人の「幸運さ」や「チャンス」を羨ましく思いがちだけれど、その後にあるそういうマイナスの要素には目が行かないことが多い。

だから平気で自分は何の努力もしていないのに、誰かの足を引っ張ることができるんだと思う。そういうひとを見かけるたびにかわいそうだなぁと思う。不幸体質。

どれだけその人が努力を重ねてきたのか、とか何を捨てて生きてきたのか、またどんな覚悟があったかということは、眩しい栄光の陰になって見えないことが多い。

チャンスを手に入れるのも努力だし(もちろん運も含まれるが)、そのチャンスを生かすように持って行くのは、またさらに大きな努力が必要なんだ。

わたしは、いつもその光と影の両方を見たいと思う。光が強ければ強いほど影もまたどんどん濃くなっていく。

だからわたしは、心の底から自分の夢を叶えている人を尊敬する。そのてっぺんに到達することができた人だけが見える景色。そして今度はてっぺんに上り詰めた人がその山をゆっくりといかにして降りるか、ということもとても大切なことだと考えるようになった。

いつも勝ち続ける人生はない。いつも一番にならなくてもいい。いかに負けるかが大事なんだ。

なんとなく、そんなことを考えた日かも。

可愛くないとだめですか?

こんばんは、ほんまちゃんです。ここのところますますバタバタとした日々を過ごしながら、けれど楽しいことも捨てられないというジレンマを抱えています。

製作作業というのは、もちろん物理的な時間を必要とするものもあるし、クリエイティブな部分の作業もあるわけで、どちらが欠けていてもだめなんですね。物理的な作業はひたすら遣り通す根性が必要だし、クリエイティブにはある程度隙間や余裕がないとどうもうまく行かないのです。

楽しいことや経験がないと、このクリエイティブな部分の能力が落ちてきます。いくら時間があっても、ひらめかない。一見関係のない、別の顔の日ごろの普通の生活を捨てるとだめなんだ、ということを感じています。

一見、遊びに見えることや無駄に見えることがすごく役に立つことがある、つまり人生に無駄ということはないんだってつくづく思えるようになりました。仕事と遊びの境界線をきっちりなんてことできるのでしょうか?少なくともわたしにとってはその境界線はあいまいで、別のことをしているときにひらめくことが多いです。だからやっぱり24時間仕事のことを考えているし、24時間楽しむことも考えている、そんないい加減な性格です。うははー。

で、ここの所思うこと。

女子は可愛くなくちゃだめなのか?

どんな雑誌を見ても「可愛い」だとか「モテる」だとかそんな言葉ばかり。40代、50代の女性誌にも当たり前に「かわいい」という文字が出てくることにどうも違和感を感じるのです。

そんなにかわいいって大事なのか?

みんなが整形手術したみたいにのっぺらぼうに見えるような気がしているのはわたしだけなのかな?若いだけに価値があるわけじゃないし、年をとっているから偉いわけでもない。

お金や綺麗さはもちろん無いよりはあったほうがいいけれど、なんだか偏りすぎている人は私には魅力的じゃないかな。やっぱり何事もバランスのいい人になりたいなぁとそう思ったりする春でした。

可愛くないとだめというよりも、やっぱり可愛いだけじゃ人間だめでしょ!

しあわせ。

今夜はとっても嬉しい事件が!
大切な友人とパートナーさんがが思い出させてくれたこと。
ふたりのスペシャルなギフトに添えられた手紙にはいつかのこんな言葉が・・・。

幸せは探すものじゃなくて、気づくもの。自分が幸せであることが人を幸せにできる秘訣だと思うんだ。

はるか昔に口走った(しかもオヤジ飲みしてる時に・・・Σ(´Д`;) 何気ない言葉を大切にしてくれたこと。ふと口にした言葉が、誰かを幸せにすることができたと思うだけで、とてもとても幸せなのだ。ただただ嬉しい!パートナーさん、ありがとう。

わたしは有名人ではないし、本当にふつうのオンナノコだけれど、それが気に入っているし、何者でもない自分だから自由でいられる。自分が信じるものを信じ続けられる。わたしは偉くなったり、有名になることを特別望んではいない。

ただ、いつも「しあわせ」な自分でいることだけを考えている。
しあわせの秘訣は信じること。
自分が信じることを信じること。
しあわせであることを信じること。

信じられないことは不幸だもの。
信じられないことは今すぐにやめるべし!それはあなたを不幸にするから。自分で自分を不幸にしてしまう。決断する力が必要ね。

自分がしあわせでいれば、その周りにいる人も愉しい気持ちにしてあげることができるし、そうすることが自分にとって大切なの。いつもいつも、自分の周りにいる人をしあわせにしたい。しあわせを数えて暮らすともっともっと幸せになれるんだよ?しあわせは考え方なの。

自分を幸せにするのも自分。
自分を不幸にするのも自分。

他人は自分を不幸にはできないの。
何か事件が起こって、そのときに「幸せ」を感じるか「不幸」を感じるかは自分しだい。

もちろん、人生は平等ではないし、困難もたくさん起こるでしょう?
けれど、そんな時に「しあわせになる考え方」ができる人はいつも幸せでいられる。たとえ悲しい事件が起こっても、不幸は最小限に食い止められるんじゃないかしら。

でも何よりもこんな風に「大切な言葉」を時々思い出させてくれる友人を持つことが本当のしあわせだと思う。

ありがとう。

冬のそら

TOKYO

おはようございます。
ふうー、今週はバタバタしていたわ。

実はちょっと新しいことをはじめてみたり。
サプライズな事件が発生したり。

とにかく毎日どんどんいろんなことが起きて、いろいろと考えて、毎日を生きていくのがとても愉しいのです。もちろん、問題もどんどん起きてくるんだけれど・・・。(笑)

思いついたときに、チャンスが来たときに、「よし、やってみよう!」と思える自分でいたいなぁといつも思うのです。判断をすぐすれば、やれることは多くなるんですよ。へんな駆け引きはせず、すぐ決断!ぐずぐずと悩んでいるとやれることは少なくなる。わたしは単細胞生物なので、どんどん忘れてしまうのです。忘れちゃうからやれない。人って結構シンプルにできているものだと思います。

それに、たいていどうにかなるものかと。
大切なのは、やりたいか、やりたくないか。
もちろん、やりたくないことはする必要ないわけですから。迷うことはやめればいいと思います。どうしても嫌ならやめればいいんです。やってみて、ダメなら失敗しちゃった、でもこれはいつか生かすぞ!位に思えれば、何で迷っていたんだろう、と思えますよ。

それから、いつも損得勘定で動かないこと。
好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか、で考えたほうが将来的にプラスになると思います。

いつもね、得したいとか、一番おいしいところを持って行こうとかそういう風に考えている人って貧乏ったらしいじゃないですか?そんなひとにいいことは回ってこない。いつもプラスのオーラで溢れている人にいろんなものがよっていくんじゃないかって思います。(まぁ、私の場合、能天気すぎるとよくいわれるんですが・・・)

わたしの周りの人はみんなそういうすばらしい方なので、わたしもとても影響を受けています。

さあ、いよいよ週末、楽しんでいきましょう!

難しいことはわからないのだけれど

世界をぽつりぽつりと漂うように旅していると、ごくごくありふれた毎日を別の視点で眺めることが出来る。

自分のうがったものの見方とか、当たり前のように望んでいることがちっとも当たり前でないこととか、また誰かに対する評価だとか感謝だとか、自分に対する信頼だとか。周りの人への尊敬や感謝もたくさん見つけることが出来る。だからそのぶん、いつも自分に出来ることはなんでもしてみよう、少なくともそれをしたいと思うのならば、と考えていたりする。

なんとなく自分を覆うようにしている膜のようなわずらわしいものと一端切り離された時間を持つことが、自分にとって必要なんじゃないかしら、と思うようになっている。

いろんな経験をすることで、物事に寛容になったり、危機的状況に対応できるようになったり、とにかく少々のことでは振り回されない精神力みたいなものが養われる気がする。

もちろん、根拠はない。わたしは学者でも勉強が出来るタイプでもないのです。そもそもだれもそんなこと期待していないのだし。そうですよね?(って誰に聞いてるんだろう?)

でもとにかく自分の頭で考えること。

無意識にルールに従わないこと。

そのためにひとりでいる時間を故意に創り出すことが大切なんじゃないのかなぁ。

今回はあまりひとりになる時間がなくて、ちょっとお疲れ気味ですが、それでも違う環境に身をおくことで新しい発見のようなものはたくさんあったりするのです。

だからこれからもわたしはあちこちを旅して、たくさん考えて、経験をしていきたいと思っています。

 

おはようございます!

city

なんだかちょっぴり肌寒い・・・
みなさま、おはようございます。

そろそろ今年をふりかえらないと・・・と思っています。
今年はわたしにとって、記念すべき年。

韓国×2、ニューヨーク、バンコク×2、オーストラリア、6回も海外に行った年ははじめて。そして、30歳を迎えました。さまざまなメディアに登場させていただいたり、Partyにたくさん呼んでいただいたり。さまざまなチャンス、そしてまたたくさんのすばらしい人たちとの出逢いにも恵まれました。

時々、幸せすぎてふっと不安になることがあります。
この超幸運体質を失ったらわたしは大丈夫だろうか、と。

けれど明日のことは誰にもわからないのだから、今まで通り今を精一杯がんばって生きていこう、と思っています。また年明け早々、バンコクへお出かけしてきます。

いつも思うことですが、とにかく、自分が今経験していることを全身で、好奇心でいっぱいのアタマで吸収できることをすべてすること。同じ経験をしていても、ひとりには新しい発見があり、もうひとりには何も感じないこともある。目を大きく開いて、今起こることから常に何かを見つけ出せるように、そしてそれを未来に生かせるように生きていたいと思います。
 

美しくあること

miumiu

美しくあることは女性にとってどんなメリットがあるのだろうか?
素敵なファッションを身に纏うことでわたしたちは何になりたいんだろう?メークは、ケアは、どんな風に自分をみせてくれるんだろう?

それはたぶん、自分自身だと思う。
どんな自分になりたいか、どんな自分かを雄弁に語ってしまうもの。それが外見なんじゃないかしら。ある程度年を取っていろいろな経験をしてきたからこそ見える、自分はいったいどういう人で、どんな方向へ行きたいと思っているのか、をプレゼンすること。

そのひとつがファッションだし、メークなんじゃないかしら、と。最近美容関係の話を頂くことが多くて、けれどその中心にあるものはやっぱり「美への憧れと追求」になっちゃうんだよなぁ。

純粋に好きだという気持ちとそれを誰かに伝えたいと思うこと。
何が好きで何が嫌いかを表現すること。

目を開いて、経験できることのすべてを吸収すること。
いつもいつも好奇心でいっぱいで、行動的であること。

決めたら、すぐやる!やってみる。
そして試行錯誤。

ファッションにしても、メークにしても、どんなことでも共通していえることだと思う。そして目の前にいる相手を大切にすること。自分が大切にされていないと悩む前に自分は相手を大切にしているかどうかを考えてみるといいかもしれないよ?それはモノでも人でも同じだと思うんだ。

ふつうのまいにちの中で

カフェ

本を読むことも、映画を観ることも、おいしいものを食べることもみんな好きだけれど、ただそれだけだとしたら、つまらないと思う。本も映画もおいしいものも、素敵な人と一緒に共有するから愉しいのだ。

ひとりぼっちで世界のあらゆるものを持っていたとしても、それは決して幸せではない気がする。

mustは少なければ少ないほど良く、何かに依存することなく、けれど勇気を持って決断して行動する。

そんな姿が理想かも、と考える。

カフェ

ミシュランはミシュランですばらしいと思うけれど、わたしにはどうでもいいことなのだ。それよりも自分が好きなレストランがそこにあることが大切。誰かに評価などしていただかなくて結構なのである。

ものやひとや場所も同じレヴェルで丁寧に大切に扱う。まっすぐに自分が素敵だと思うことを信じて、従う。ふとしたときにそういう好きなものとの出逢いがわたしをより幸せにしてくれると思うんだ。

だから、素敵なところを見つけると、素敵なものを見つけると、教えたくないんだけど、でも素敵だから紹介したい・・・という気持ちがむくむくとしてきちゃうのです。

金曜日の夜に

ネイル

綺麗なものをみると、心が躍る。癒される。
時々ふと、すばらしいものに出逢う。
そして恋に落ちる。

モノやサービスやヒトはわたしにとって同じベクトルにあるかもしれないなぁと思う。そういう自分が好きだなぁと思う素敵なものを自分のそばにおいておくことで幸せになれる。

わたしのまわりにあるものやヒトはみんなすばらしく素敵で、時々自信喪失する。だってわたしは全然完璧じゃないもの。いつも転んで擦り傷だらけ。もっともっと、こうしたいという思いはあるけれど、すべてを完璧にこなすことはできないなぁって。でも、今はできなくてもチャレンジし続けることでもしかしたらできるようになるかもしれないじゃない、と思う。だからあきらめない。そういう気持ちが大切なんじゃないかな。強い意志。信じること。私が尊敬するヒトはみんなそうだもの。

スタバ

好きなことをがんばるのは当たり前。努力するのはつらいことじゃない。愉しいこと。

ひとつひとつ階段をのぼって、目標や目的に近づく。
自分の得意なことに光を当てて、苦手なことは目立たないようにしてあげる。いつもどうしたらもっと魅力的になれるかを考える。自分の頭でよーく考える。試行錯誤する。自分の思っていることを伝える。

自分が払うべきものはきちんと払う、とるべくリスクはきちんと取る。誠実でいること。自分の中のずるい気持ちをコントロールすること。いくつもの視点をもって、どんなときも冷静でいること。ヒトの気持ちを大切にすること。

当たり前のことを当たり前にするのは意外とむずかしい。

でもそうやって生きていると幸せに近づくんじゃないかって思う。だからがんばったり、素敵なものを見つけたり、好きだと思うものは離したらだめだよね。

  なんとなく、そんなことを考えた金曜日の夜でした。

ブロガーの未来は?

こんばんは、ほんまちゃんです。
ワインだと飲みすぎちゃうので、今晩は早めにチャイに切り替えました。ふふふ、ちょっとは学習能力あるでしょ?

今日は昼過ぎから外出だったので、なかなかブログ更新ができず・・・。
ヒアリングしに出かけて、カフェワークして、新しいレストランのレセプションにお邪魔してきました。(後で詳しく報告するね)

帰ってきたら、ドバメール(すごい数の意)に埋もれて、ここのところ少しずつ観始めた「アグリ・ベティ」を片隅に表示させつつ、処理。面白すぎてあまりはかどらず。(当たり前!)気がつくとドラマに夢中。ふへー、気をつけよう・・・。

さて、ビジネスとしての視点でみた、ブロガーの未来図について少し考えてみた。

わたしの考えでは、今のようなブログフィーバーはじきに終わるはず。おそらく、1-2年の間に。

けれど、ブログすべてがなくなるわけじゃない。ブログは形を変えて変わっていく。本当に力のあるものだけが残ることになると思う。ここでいう「力」というのは「トラフィック」のこと。つまり検索エンジンに対して一定以上のインパクトを与えられるという意味。

つまり今は「バラマキ」による利益がみんなに配分されているけれど、今後は一握りのスペシャルブロガーのみがその利益を分け合うことになる。そしてそのスペシャルになるために努力していいブログが誕生するという図式が出来上がる。

ブログはブログでウェブサイトとは違う、という人がたまにいるけれど、わたしはそれは違うと思う。ブログはウェブサイトのひとつなの。今は「ブログ検索」という項目があって、それには「口コミ」を探し出す手段として使用しているという人も多いと思うのだけれど、でも根本的には一緒なの。

なぜなら「検索」という世界に支配されているから。
ウェブにおいては「検索」がすべてといっても過言ではない。もちろん、くだらない情報が上位に来ることもあるけれど、それは今後淘汰される運命にある。(そのために必死にgoogleの天才達は働いている、YAHOOも・・・時々いかがわしいけれど、たぶんね)

だとしたら、最後に残るのは「クオリティ」と「検索」。
ウェブサイトの本質は必要で有益な情報がそこにあること。(無意味な記事はその場限り)そしてそれが目立つ(検索される)こと。

ウェブの世界で目立つには、検索で上位に表示されるか、パワービッグサイトに記事として掲載されるかのほぼ2通りしかない。

で、検索に上位表示されるにはやっぱりウェブの知識が必要になる。何も考えず、勉強せずにモテようとしても無理なの。コツがあるから。そして同時にウェブのこともブログのこともよく知らない人に効果的なブログプロモーションはできない。

けど、してしまっている。知らなくても、それなりに効果が出るから。ブログプロモーションというのは実はとても堅実なプロモーションのひとつなの。

でもそのせいで、誤解されていることもしばしばある。誤った理解をしてわかったつもりでいる人が多いんじゃないかな・・・と思うことがたくさんあるもの。

わたしはいつも「もったいない」と思う。もっとうまくできるのに・・・と。
お手軽だからとりあえず、ではなくてもっと丁寧にケアすれば何十倍も効果が出せるとわたしは思っているのだ。

人生は愉しむもの!

連休はどこへ行っても混むから、ひたすら引きこもって、プランを練ったりするほんまです、どうも。
みなさんはシルバーウィーク、愉しんでいますか?

やっぱりお休みはわくわくするもの。会社員をしていたら絶対海外逃亡ね。長い連休を取るのは大変だもの。チャンスは逃さない、がわたしの信条なのです。うふふ。

みんなしたいことをすればいいのですよ。

ひたすら眠りたいのであれば、人間は何時間睡眠をとり続けられるかを試してみればいいし、今までほったらかしにしていた積読本を読むのも素敵ね。

ゲームを徹夜してやってみたり、逢いたいと思っていた人をデートに誘うのもいいし、久しぶりに友達に手紙やメールを書くのもいい。

行ってみたいカフェがあるって?そしたら、ネットで定休日を調べて、電話で確認して、お出かけしてみたらどうかしら。

誰か任せにしていたら、幸せなんてやってこない。
だったら、自分で探して、取りに行かなくちゃ。
人生は自分で愉しくするの!

計画したりするのって本当にアドレナリンがでて愉しいことなのよ?
誰かを誘うのが面倒なら、一人で行けばいいじゃないの。誰も止めないし、誰も見てないわよ。恥ずかしいなんていってたら、人生恥ずかしいことだらけになっちゃう。

誰かに迷惑をかけないことならどんどんやっちゃえばいいの。
やってみたら意外と愉しくて、簡単な事に気づくと思う。

生きている最大の意味は愉しむこと。そして幸せになること。ハッピーじゃないなら、生きてる意味がずいぶん薄まるわね。もちろんいつもいいことばかりじゃないけど、でもいいことの前後には大変なことがあることが多いのよ。でもいいことを信じてがんばれば、それはすごく意味のあることだったんだって、気がつける。はじめから強い人がいるんじゃなくて、がんばったから強くなれるんだと思う。

そしてその積み重ねの差が人によって違うだけなんじゃないかしら。

人間の能力はたいして違わない。
だからチャレンジしてきたかそうでないかで変わるだけ。経験が人をつくる。これ間違いないからね!

このシルバーウィークは「愉しむこと」にチャレンジしてみたらどうかしら?
 

映画館の思い出

映画館

映画館は私にとって思い出深い場所のひとつ。
幼いころに両親はいつも仕事で忙しかったから、わたしたち姉妹を連れて映画館へ行くのは独身であった(今も独身のままだけれど)叔父だったのだ。叔父は祖父母と一緒に暮らしており、祖父母の家とわたしたちの家はそんなには遠くなかったので、よく遊びに行った。そして叔父はいつも私たちを映画館に連れて行ってくれたのだ。

だから幼いころに映画を観た記憶というのは、いつも叔父と一緒にいる絵を思い出すのだ。叔父は非常に頭のいい人で、また読書家でもあったから、ある意味大学教授のようなアカデミックな雰囲気を持っていた。叔父と父は正反対のタイプで、だからわたしは両方の影響を受けたと思う。

映画や本はほとんど叔父から与えられたものだ。だから、今映画が好きなのも、本が好きなのも、叔父からの影響だと私は思っている。そんなわけで、映画館に行くたびに思い出すのは叔父のことだったりする。とてもとても感謝しているのだ。

映画館

人はひとによって創られていると感じるのはそんな時。
人の人生というは本当に不思議だなぁと思う。誰かと出会い、尊敬し、敵対し、さまざまな物事の中で影響を受けて取捨選択した結果、得られたのが今の自分ということでしょう?

いい映画は人生を豊かにするし、(自分にとって)だめな映画だってその原因を探っていけば、人生を豊かにしてくれる。

そういう意味で言えば、チャンスはどこにでも広がっていて、誰にでも平等に広がっている。でも問題はそのチャンスに気づいて、キャッチできるかどうか、ということなんだけれど。

美しい、ということについて

わたしは可愛いものにはあまり興味がない。美しいものが好き。

揺るぎなくて、強くて、ただまっすぐに吸い寄せられてしまう何かがある。それは光の揺らぎであったり、濃淡であったり、質感であったり、ツヤ感であったり、輝きであったりする。

綺麗なもの、美しいものに惹かれる。
またそれを生み出せる人を無条件で尊敬してしまう。

でもすべての美しいものを手にしたいとは思わない。
美しいものはみんなで共有しなければ。

美というのはそれまでに貴重で偉大で、人生を狂わせるものだと思う。けれどそれが分かっていながら、あるいは無意識のうちに、人は皆どこか遺伝子レベルで「美」に惹かれる生き物なんじゃないかしら。もし人によって違うとしたら、美しいものを感じる「感度」があるのかもしれない。

あたしは最近思うのだ。

努力ではカバーできない「才能」という感度があること。そして世界は様々な美しさに満ちている。そういった様々な美しさに敏感であることは「才能」なんだと。そして同時に美しさに溺れない知性もまた必要。そしてどっぷりと浸かるというセンスも。すべてはバランスなのだ。

はじめからいい人がいるわけじゃない。いい人でいようとする強い精神力が「いい人」を創るのではないかしら。人として誠実であろうとする気持ちが本当の誠実さを産む。だとしたら、美しくあろうとする気持ちが「美しいもの」を創りあげるのだと思う。いきなり美しくなるのではなく、実にさまざまな試行錯誤の上でコツコツと積み上げられたものの総称を「美」と呼ぶ。わたしはそう思う。

簡単にお手軽に創れる「美」などあるはずがない。それは感度の低い「美のようなもの」でしかない。それで満足するのもひとつの幸せだし、決して間違いではないと思う。

けれど、本物の美を求めるならコツコツと積み上げるしかない、そして同時にあらゆるものへの感度を高めていかなくてはならない。繊細で地味で、そしてそれはピュアでなくてはならない。「才能」がなくてはならない。

ほんまちゃん

わたしにはそれを感じる才能があるのだろうか、と考えてみる。うーむ、わかんない。それでも、本当に大切なことは迷わない。迷うということは危険信号だ、と思う。世間体など気にしない。周りへの見栄や根拠のない意見などに惑わされてはいけない。誰かがすばらしいといったからじゃない。自分の感性が迷わずに惹かれるものを大切にする。ただそれだけで幸せになれるんじゃない?自分が信じるものを信じる。自分が美しいと思うものを信じる。そしてそれに全力で向かっていく。そのためのリスクはとり続ける。何も捨てずに何かを得られるなんてことはほぼない。

本質は何だろう、と考え続ける。そうすることでいつか、本当の答えにたどり着ける。すべてのことはきっと、ひとつの答えに向かって進んでいるんじゃないかな。自分だけのひとつの答えに。

幸せのレッスン

ウインドウ

こんにちはー。相変わらず能天気なほんまちゃんです、どうもーー☆

先日も私の大切な友人とガールズトークしていたら、恋バナやキャリア、生き方なんかの話になって、「幸せってどうしたらなれるの?」と質問を受けたのでちょっとそれについて一緒に考えてみない?

みなさんご存知、わたしに恋愛相談しても無駄、もっぱら聞く専門として活躍させていただいてます。アドバイスじゃなくて、ただ聞いて欲しいって時あるでしょう?そういうときはわたしの出番。意外と重宝されているみたいなのでよかったけれど。

基本的にわたしは人の話を聞くのが大好きなのね。だからどんな話題でもウェルカム!人について興味があるの。人はみんな違うから面白いよね。わたしは自分の意見とは違う場合ははっきりとそういってしまうし、でもそれは相手が嫌いということじゃないのよ。ただ意見が違うというだけ。よく勘違いされるんだけれど、人はみんな違うんだから、なんでも共感する人って気持ち悪いと思うの。ちょっと過激だけど、自分の意見のない人って苦手。これはタダ単に好みの話ね。別にみんなが同じじゃなくていいの!

あっ、「幸せ」の話だったね!
まずは自分がどうしたら「幸せ」を感じるか具体的に考えてみて。

たとえば・・・

お買い物しているとき
おいしいものを食べているとき
好きな人とデートしてるとき
褒めてもらったとき
走っているとき
仕事をしているとき
夜中に音楽を聴くとき
何かを創っているとき

次は「幸せじゃないとき」を考えてみて。

ふられたとき
仕事で失敗したとき
嫌な人と一緒にいるとき
不安で仕方がないとき
けんかしたとき

きっといくつか具体的なものが出てきたわよね?
基本は「幸せの時間」>「幸せじゃない時間」になるように調整してみて。幸せじゃないことはしない。起こらないように気をつける・・・もしくは考え方を変えるというのも役に立つよ。

たとえば、ふられたときは「もっといい人と出会うチャンス」だーと考えることも出来るし、「仕事で失敗した」ならただでは起きない、分析して次回少しでも改善できれば、これはヒントなんだーって思う。

もしもわたしが周りからみて「幸せそう」に見えるんだとしたら、やっぱり「当たり前」だと思わないからだと思う。どんなことも「ありがとう」って感謝できるし、失敗したらきちんと反省する。完璧じゃなくてもいいのだ、と開き直る。(笑)あとは人と比べないこと。嫌ならやめていいのよ?変えられるものは変えて、変えられないものはうじうじ悩まない!自分で決断して、その結果を受け入れる。結局は自分のことを好きでいる!ってことなんだと思うけどね。

わたしは人に相談するのが苦手(たいていパキパキと自分で決められるので)なんだけど、思い切り毒づきたくなったら仲のいい友達を呼び出して、思う存分吐き出す!デトックスしちゃうね。でも吐き出したらコロリと忘れることにするの。毒は体に残しちゃダメ!たぶん、頭なんて悪いほうがずーと幸せに生きられるんじゃない?

あー、わたし頭悪くてよかった!忘れるの得意なのよ?

自慢にならない自慢だけど、実はこの「幸せ」って簡単なことだと思う。ちょっとした訓練ね。
ぜひ「幸せのレッスン」試してみて。

ではまた午後にね!ららばい☆

好きなタイプは?

ほんまちゃん

お通しはなぜ必ず出るのか?」を読破しましたーーー☆

お通しはなぜ必ず出るのか?
(アマゾンで買え!: 「お通し」はなぜ必ず出るのか―ビジネスは飲食店に学べ )

とても冷静に飲食業界を分析してあり、個人的な感情みたいなものは必要最低限に押さえられていて分かりやすいです。また問題提起的な1冊になっていると思います。誰が読んでも共感できる部分があるのではないでしょうか。ぜひおすすめ。

さて、今日はちょっとまじめネタを。

わたしは基本的に世の中にあるものはすべて擬人化、会社もサービスもモノも全部「人」として仮定してみるんです。で、擬人化した上で「それが好きかどうか」で判断する。

そのときに他のものとの「比較」によってある程度の位置が決まったりはするのだけど、比較ばかりしていると終わりがなく、上には上があるし、下には下があり、エンドレスな戦いになる。エンドレスな戦いは精神的にきついし、避けたい。すると「比較できない何か」がこれからの時代は大切になるんじゃないか、と。

情報がこれだけあふれていて、選択肢もたくさんあるような状態においては「シンプル」に考え、生きていくことが必要で、そのためには「擬人化」はすごく便利だと思う。
世の中のハードが出揃ったあとには「ソフト」が勝負になる。今言われているように「サービス」や「個」というのは紛れもなく「ソフト」だと。

「ソフト=ヒト」は「ハード=モノ」とは違って非常に「品質に揺らぎ」が大きい。たとえば、書籍を買う場合はどの書店で買っても品質にばらつきはほとんどない。でも「サービス」の場合は・・・そこには「絶対的な不公平感」があると思うの。

人は無意識に好きな人には高待遇に、苦手な人には低待遇になってしまう。すると同じお金を払っても、得する人と損する人が出てくるわけです。で、そうするとなんとか「得する」ために努力しないといけない。隣の人と自分が同じものをオーダーして、同じ品質のものが得られるとは限らない。これはある種厳しいことですね。でもそれが資本主義だと思うし、ソフトの世界です。

つまり、「品質に揺らぎが大きい」もの(ソフト)を買うときには「個のチカラ」がとても大切になってくるということ。上手な買い方ができるかどうかで結果に大きな差がでてきます。

じゃあ、個のチカラって何だろう?というと、わたしは「自分を印象付けること」だと。自分自身を「売る」こと。とにかく覚えてもらうこと。そしてできればいい印象を残すこと。空気を読むことだと思います。何度逢っても覚えられない人っていますよね?でもそれって実はものすごく不利だと思う。

「となりの誰かと同じことが善しとされてきた文化」とはまったく逆。だけど、人と同じやり方をしていたらいつまでたっても抜け出せない。抜け出せないと覚えてもらえない。覚えてもらえなければ、ソフトの時代で生きていくことは難しい。

そして擬人化して考えると「好きなタイプ」が実は人も会社もサービスもモノもある程度同じになるかもしれない、と。自分が好きなものを並べてみると「何が好きか」が見えてくるかもしれません。

わたしはいつも友人から「好きなタイプってどんな人?」って聞かれるんだけど、たいてい答えられないの。でもそういう目線で考えると、ある程度「好き」に共通点があることがわかります。

わたしの場合は「信頼・美しさ・尊敬・おいしい・哲学・謙虚・丁寧」がポイントになるかな、と。私自身もそういう人になりたいなぁといつも心に刻んでいます。ウヒヒ。

いつか

雲の上

いつか、もしも自分の分身ができたら、この景色を見せてあげたいなぁと。綺麗なものがわかる年になったら、なるべくたくさんの美しいものをちゃんと自分の目で見て欲しいと思う。隣で眠る母を横目にきっと両親もそんなことを思ってくれていたかも、と想像した。

いつ見ても雲の上はとても綺麗で、シンプルだけれど複雑で、強さを感じる。澄んでいて心が洗われる。

100年前の人はこんな景色をみることはできなかったでしょう?今なら、望みさえすればいくらでも見られるもの。

でもやっぱり旅は基本ひとりのほうがふさわしい、と思う。誰のせいにもできなくて、自分の力が問われる。それはとても厳しいけれど、潔くて、わたしにあっていると思う。わたしはひとつひとつをきちんと自分で納得して丁寧に選んでいかないとダメなタイプなんだよね。

でも同時に誰かと共有する時間もとても幸福であたたかい。いつもいつも旅の終わりには感謝の気持ちでいっぱいになる。すべてが思うとおりではないけれど、いろんな愛すべきものがそれにふさわしい形でそこにあるという感じ。

ありのままをありのまま受け入れることで、いつも心が豊かになれる気がする。綺麗なものもそうでないものも、ありのままギュゥっと抱きしめられる。きっとそれが幸せってことじゃない?

大人になってよかったと思うのは、たいていどんなことも受け入れられることかもしれないですね。ウヒ。

24・・・?

ほんまちゃん

バンコク滞在残り・・・24時間。
始まりがあるように、いつか終わりもくる。

そんなこと分かっているけれど。
それでも寂しくてなんだか、わたしはいつもみっともないくらいジタバタしている。

別にバンコクに限ったことじゃなくて、いつもジタバタばかりしている。そんな自分が少し嫌いだ。往生際が悪くて、考えすぎで、そしていつもチクリと痛くなる心と向き合うのがとても怖い。

逢いたい人にあって、素敵な友達に囲まれて、やりたいようにやっている。本当にしあわせ。アイ、ノウ。

でも一方で全然成長できなくて、お返しできない自分にイライラしちゃう。今の自分はもしかして、見分不相応じゃないの!もっともっとすごいスピードで、猛スピードで成長するにはどうしたらいいんだろう?そうじゃなくちゃ、計算があわないでしょ、とひとりツッコミ。

永遠に続くおいかけっこになりそう。

だからいつも24。ツゥエンティーフォー。
チキチキと時間に追い詰められて生きてる気がする。

いつも満足できなくて、もっともっとがんばりなさいよ、ともう一人の自分が言う。他の誰でもない自分が自分を追い詰めているのかも。アイ、ノウ。

ロンバケの終わり。アイ、ノウ。

そろそろいろんなことに答えを出すタイムリミット。
ほんとうはもうとっくに分かっていたくせにジタバタする癖が抜けない。アイ、ノウ。

大切に、たいせつにしたい時間。
ありのままで勝負するしかないわね、アイ、ノウ。
 

今の自分を創ってきたもの

ほんまちゃん

ここのところゆっくりと考える時間があって、なんとなく思い出すことや考えることがある。わたしはやっぱり変わっているかも知れないなぁと。というか面白い経験をしてきたかも、と思う。それは本当にわたしにとって宝物だし、感謝すべきことなの。

基本的にわたしは自分ができることは誰にでも出来ることだと思っているし、普通のことだと考えていて、だからただの一度も自分をすごいと思ったことがないし、たぶんこれからもないと思う。そして自分のことを美人だと考えたこともない。(正直に告白すれば、不細工だと思ったこともないが・・・)とにかく、ありのままを受け入れてきただけ。チャンスがくれば、やってみたいと思えばチャレンジし、やりたくない、欲しくないと思えばやらない。もちろん、失敗だってたくさんある。言わないけど・・・(笑)。それでもあきらめない。まだ知らないことがたくさんあるし、チャレンジしたいこともたくさんある。

わたしは死ぬまで幸せでいることが目標で、たとえばうなるほどのお金も必要ないし(わたしは別に豪華な家に住みたいとか、高級車に乗りたいとか、モノが欲しいとか、豪遊したいとかそういう類のものには一切興味がない)、ただ自分が好きな人(男女問わず、中間の人ももちろん!)に興味を持ってもらって、楽しく話をしたり、たまにデートなどしてもらったりして、お互いなんかちょっと幸せじゃない?なんて気持ちでいられたらいいなぁと思っている。(そうしているなかでいつか結婚したいなぁと思える人が出てきたらすればいい、とその程度に考えている、今も。)そして毎月一度大好きなすし匠でお鮨が食べられればいいんじゃないかなぁ?と。

今のわたしは今まで出逢ってきた人たちにとても影響を受けていて、いいときもわるいときもそれはそれで糧になってきたなぁと思っているのね。それはやっぱり20歳の時には分からなかった。(もちろんそのときはそれなりに分かっていると思ってはいたんだけれど)30歳を前にして初めてわかることだったりする。だからこれからも、分かることが増えていくと思う。それはとても楽しみだったりする。

20歳にして80歳のおじいちゃんに「ほんまちゃんって学校の先生みたいだね」といわれてびっくりしたこととか(もう少しでニックネームが「ほんま先生」になるところだった)、もちろん、ガイジンによく間違えられることとか、興味のないことにはからっきし才能がないこととか、時々かわいいいたずらをするとか・・・まわりの大人にいろいろなことを教えていただいたり、怒られたり、幼い頃に両親に毎週のようにあちこちに旅行に連れて行ってもらったこととか、おいしいものを教えてもらったりとか。あの時友達はこんなこと言っていたな、あれはこんな意味だったのかも・・・と今になって思ったり。初めてお小遣いをためて買ったものが実はパソコンでかなりオタッキーな選択だったこととか。生まれて初めてイギリスに自由旅行にいったこと、それも両親に直前まで秘密で。実は悪女です、計算です、すいません。ウヒヒ。

そういうたくさんの自分の決断をすごく貴重だったと思う。そしてなによりもそういうひとつひとつが愛おしくて、面白いと思ったりする。そんな中で人を見る目を育てられたこと、そして自分の意見を常に持てることが一番のギフトだと思う。きっとみんなそういうものをもっていて、そういうよさを大切にして生きているんだろうなぁと。

バンコクに来ると、いつも冷静にそして真剣に自分の内面と向き合えるのがまた不思議。やっぱりアジアにいるととても落ち着くのです。典型的アジア人だ、と思う。そしてそれは自由に生きることと同じなのかもしれない。

そしてそれはこれからも続いていくんじゃないかな。チャレンジの繰り返し。いまさら自分をやめられないもの。こうなったらとことんやるしかないわよね、と苦笑いしながらほんまちゃんを続けていくしかないか、と思う。そしてそれはわくわく、ドキドキする。いつも自分で自分を好きでいられるように選択を繰り返すだけね、とビール片手にぶつぶつ言っている。

おくりびと、最強デス

あー、やっぱりいい。

何度見ても泣けます。

ほんとうに切なくて、優しくて、温かい。

死について考えさせられると共に生きることについても考えてしまう。

静かな情熱や丁寧さ、そして所作が美しいこと、自分にとっての仕事について。自分という人間について。

いつも死を思うたびに思い出す言葉があります。

誰も死を望まない。天国に行きたいと願う人ですら死を望まない。死は誰も逃れることは出来ない。しかし、そうあるべきです。
死は生における最も偉大な創造物だからです。
死は変化を起こし、古きものを消し、新しきものを創造するのです。

時間は限られていて、失うことを恐れている時間はない。自分の心や直感にしたがって行動すべきなのです。

アップル・コンピューター スティーブ・ジョブス

自分にとって本当に大切な、愛すべき何かを見つけなくては、と
この言葉を思い出すたびに強くそう思います。

ほんまちゃん

そしてもうひとつ。

それをつらいと思う人はそれをつらいと思わない人には絶対勝てない。だからきっと、愛していると、大好きだと自信を持っていえる何かを見つけられたとしたら、それが才能だと思う。

弱い立場というのは、実はすごく面白いんと思うんですよ。

自由でわがままで「もういらない」とか「もうつまらない」とか「わからない」なんてことをいうお客さまにどうしたら喜んでもらえるだろう、今のままだと飽きちゃって興味を惹かれないけれど、次はこうしたらもしかして喜んでくれるかも、と相手の顔や反応を確認しながら考えて行動する。

そもそも、もう飽きちゃっているんだから、うまくいかなくてもどんどんチャレンジできる。そういうことを次々と考えて、お客さまの喜ぶ顔を見られたら嬉しい。考えて、考えて、試行錯誤する楽しさって絶対あると思う。

だから、喜ばせたいと思う相手を見つけ出して、試行錯誤する毎日を過ごす。お客さまでいるよりも弱い提案する立場のほうが成長できるし、楽しい。(これって面白いと思いません?)
それは最高に幸せで、才能があるということなんじゃないかな、と。仕事でも恋愛でもそうじゃない?とわたしは思ってます。

でもわがままなお客さまのひとりである自分も否定できないんだけど・・・(-_-:)
でもそういうお客さまの視点と提案する視点と両方があるからうまくいくのかな。

なにはともあれ、日々実行を心がけなくちゃ、ね。

貧乏の魅力?

最近、ビンボーが流行っている。
ホームレス中学生にがばいばーちゃん、貧乏タレント・・・。
これってどういうことなんだろうか。

すごく人気だというサイバラさんの「この世でいちばん大事な「カネ」の話」をパラパラと立ち読みしてみた。(ビンボー特集なのでそこはあえて買わない・・・ごめんなさい)
そこには信じられない壮絶な人生が描かれていた。

たしかにお金は大切。
過不足なく生活していくということは実は結構贅沢なことかもしれない。

家族で幸せに暮らして行くことが幸せ、だと書いてあった。
仕事があってお金があるから、幸せがあるのだ、と書かれていた。

たしかにそうかもしれない。

サイバラさんのすごさはその本音度、真剣度にある。
FXやギャンブルは自腹でなければ読者に失礼だ、という姿勢は本当にすごい。すごい人なのだ。
(でもわたしもこれについてはそう思う。人のお金ではわからないことが世の中にはたくさんある)
そしてどうしてそんなことが出来るのだろう、とわたしは思う。

ギャンブル・お酒はいわば彼女にとって、トラウマなのだ。
実の父も義理の父も離婚した旦那もすべてギャンブルやお酒によって人生を狂わせているから、である。
そしてその多くが家系によるもの、育ちによるものが多いのだと書かれていた。

丸の内カフェ

わたしは実はものすごく慎重で地道なタイプである。ときどきびっくりするようなこともするけれど。
いままでただの一度も借金というものをしたことがない。親からお金を借りたこともない。ギャンブルというものもしたことがない。いや、数回試しにしてみたことはあるけれど、社会勉強のためにやってみただけ。株式投資も20歳のときから勉強程度にやっている。世の中のしくみを知るために。会計の知識をリアルに感じるために。そしてタフでいるために。

いつもお金を使うときにはよく考えている。自分にとって価値のあることに使うようにしている。絶対値ではなく、自分の価値基準にかなうものだけを選択している。固定費を抑え、流動費を多くするようにしている。

わたしは自分が支払うべきものは自分で支払う。
オンナノコだからといって、ごちそうになるのが当たり前などと一度も思ったことがない。自分で働いたお金を自分の正しいと思うものに遣う。そういうシンプルな考え方を持っている。

丸の内カフェ

きっと人間は贅沢な生き物で、生活の心配がなくなると別の何かが欲しくなる。自分が持っているものは当たり前になって、もっと違う何かを欲しいと願うものなんじゃないかしら。

だけど、と思う。
人は不平等なのだ。平等なんてどこにもないのだ。
上を見ればキリがなくて、下を見てもキリがない。
だからそれについてどうこう言っても仕方ないのだ。

人はみんなその人なりの辛さや不安を抱えているし、お金がなくて自殺する人もいれば、孤独で自殺する人もいる。

あなたは贅沢だ、といわれたところでどうしようもない。(実際、わたしはフツウのオンナノコだし)嫉妬されても困惑する。少なくともわたしはそれでいい気分になどなれない。誰かを嫉妬したところで同じでしょう?そんなの無意味だと思う。だって同じ人なんていない。みんな条件が違う。同じことが起きたとしても受け止め方で変わるもの。

結局は、今ある場所で今あるもので勝負するしかない。がんばるしかない。自分にとっての本質を見つけるしかない、と思う。

いいところだけの人もいないし、悪いところだけの人もいない。

振り返ってみると、セレブが流行ったり、ビンボーが流行ったりしてきた。そろそろ普通が流行るかもしれない。普通の幸せが本当の幸せだったことに気がつくのかも。

というかホントはみんな普通が幸せなことを知っているんじゃないかしら、と思う。

妄想力とわたし?

優れた本や映画、舞台にドラマ、そして絵画。これらに共通するのは、まだ見ぬ明日の自分の姿なのではないか、と思う。

私たちはいつか必ず死ぬし、絶対にすべてを選ぶことは出来ない。何かを手放す代わりに何かを受け取る。そういう仕組みになっているのだとある時ふと、そんな答えに似た考えが降りてきた。

たとえば、目の前にあるチョコレートを食べるか、食べないか。食べれば「食べない」という選択肢を捨てることになるし、その逆もそうだ。(でもふだんはそんなことほとんど意識しないで選択を繰り返している)

だけれど、わたしたちはその両方の可能性を欲しいと願う。もしくはより利益の高い選択肢を選びたいと願う。それは本能というものかもしれないのだけれど。(少なくともわたしはそうだ)

で、結局のところそれらの芸術を通して、もし自分がアーチストだったら、なんて妄想を描く。もしかしたら画家はサラリーマンに憧れていて、満員電車の写真を自分のアトリエにこっそり飾っているのかもしれないけれど。

だからわたしは、多くの書籍や映画、舞台にドラマ、絵画を見れば見るほど「妄想力」がふくらみ、豊かな人生を夢見ることができるんじゃないのかな、と。そしてもしも、それらと同じような選択が自分の目の前に置かれたとしたらどうするか、というシュミレーションを繰り返している。

1本道

この間もわたしが大ファンの知人と話をしていたのだけれど、ものの見方というのはいろいろある。いろんな人がいるように、いろんなことが起こる。けれど、誰もが理解されたいと願う。言葉に出来ない気持ちを誰かに理解して欲しいと思う生き物だと思う。人は常に見返りを求めて生きている。それは時にお金であったり、気持ちであったり、カラダであったり、行動(時間)であったりする。

けれど、その交換において強欲や無理強いはよろしくないと思う。(だからこそ見返りを求めないくらいがちょうどいいバランスかもね)そして相手の視点を持たない人。そういうひととは関わりにならないようにしている。私の人生には必要がないからだ。わたしには、好きでない人と一緒にいる理由が見当たらない。人生は限りがあるし、どれだけドキドキするものと出逢えるか、そしてそれに自分の時間と集中力を使いたい。だからドキドキしない何かはバッサリと捨てている。たとえば、マックのハンバーガーもそうだ。今のところは。

その代わり、自分が好きなものはとてもとても大切にする。

わたしの周りにいる定期的にお逢いする人達は大好きな人ばかりで、自分はとても幸せだと思う。でも一方で私と一緒にいても時間の無駄だと思われたら、その時はバッサリ・・・されても仕方ないと考えている。そういう自由な関係だもの。そしてそれがフェアというものだ。

求めよ、さらば与えられん・・・しかし求めたからにはそれなりに努力し、結果を出さなくてはいけない。

そしてすばらしいものには必ずきちんとした結果がついてくると思う。だから結果はどうでもいい、と思ったことがない。

軽々しく決めてもいないことを口に出したくないし、いつも誠実でいるように心がけて生きている。

時にそれはひとりよがりで、間違いだらけで、偏見に満ちているけれど、でもそれも自分だから仕方ない。完璧は目指していない。世間にどう思われようとかまわない。正論を言ったところで非現実的なら、そんなの無意味だと思わない?間違えたときには素直に間違えましたといえばいいし、修正すればいい。ダメかもしれないけれど、自分にウソだけはつかない生き方を選んでいる。

いつも答えは自分の中にある、とおもう。

考えて+考えて+悩んで=ポジティブ

突然だけど、

考えて、考えて、悩んで、でも結果ポジティブ。

なんていうのが好きだ。

たぶん、人生は綺麗ごとでは済まされないし、理想や空論だけをぶつぶつと唱えていても意味がない、と思う。

友人のブログ、Junior's blooming days.で興味深い記事をみつけた。
金と力。欲と力。」というタイトルなんだけれど、彼の視点は共感することや考えさせられることが多い。ちょっぴり引用。

最近僕は、お金の話を先送りにして、見ないようにするようなプロジェクト、あるいは人の善意だけに頼ったようなプロジェクトには、疑問を抱くようになって います。そういうプロジェクトは、参加した人が疲弊したり、提供するサービスのクオリティが均一にならなかったりして、結果的にプロジェクトが長続きせ ず、目的を達成できない恐れがあるからです。


わたしもその通りだと思っている。誰かを巻き込むにはそれなりの金銭的報酬、もしくはそれと同等のメリットがなければダメで、安易にちょっとやってよ、というのはやっぱりいただけない、と。わたしはこう見えても、お金についてはわりと強いの。それはお金について知ることがやっぱり重要だからだ。そしてどうお金を遣うかというのもとても大切だと思う。

でもお金をもらえれば何でもやるか、といわれればそうではないし、やはりお金だけではどうにもできないことというのが世の中にはある。

人は感情に流されるし、環境から影響を受ける。ふわふわと漂っていて、とても不安定だ。

不安や批判は恐ろしい。希望などというものよりもずーと安易だもの。だからわたしは、いろいろなものを受け入れて、抱きしめながら、それでもちゃんと自分の芯みたいなものを持ち続けたいと思う。いつも自分はどう思うの?ともうひとりの自分にツッコミをいれていたい。

考えて、考えて、悩んで、でも結果ポジティブ。

というのは、何も考えずただのポジティブじゃダメだし、考えて考えてネガティブになってもいけないということ。だっていろいろな物事をポジティブに受け取れなければ、人は何もできなくなってしまうもの。

だから、ポジティブでいつも行動的な女でありたいと願う。

何が正しいかはきっとずっとわからない

今のわたしの状況はハッピーブレイクというのだそうだ。

2ヶ月の間に、
長野へ行って、博多へ行き、そして韓国へ。

今はヨーロッパとアメリカのリサーチ中。

来月もまたどこかへ行きます。どこにでも行きますよーー。ぐふふ。

世界をこの目で見て、感じて、理解する。
いろいろなものを受け入れて生きていくことができたら、いいなぁと思う。

いろいろな人と出逢い、感じて、吸収する。
年を重ねるといろいろなことが分かるようになって、いろんな「愛おしい」を見つけられるようになるんじゃないかしら。

その過程でもしも誰かに影響を与えることができたとしたらとても幸福なことだと思う。
自分には何もできないかもしれないけれど、まいにち、毎日できることを積み重ねて生きたい。

だっていつも幸せでいたいもの。
醜い心でいると、顔まで、性格まで醜くなると思う。誰かを不幸にしたいなんて一度も思ったことがない。ホントに。周りにいる人にはいつも幸せでいてほしい。そう願うだけだ。だって、人の人生は人のもので、自分の人生は自分のものだもの。他人のせいにはできないし、したくない。

きっとそこまで執着する何かがわたしにはないし、他人はどうであれ、自分らしくがんばりたいな、と。

どのみち、何が正しいかはきっとずっとわからない。
それなら、信じる道をまっすぐに進んで行く!

ひたむきさとか、まっすぐさとかはやっぱり大切にしなきゃね。
自分の中にあるものからしか答えは見つからない。だからたくさんのことを経験して、好きなものをコレクションして、長いであろう苦悩を乗り越え、自分だけの生き方を見つけられるんじゃないか、とのんきに、ポジティブに考えていたりする。

どうせ生きるならただ息をしているだけじゃなくて、自分だけの素敵な何かをみつけたい、と願う。

クオリティのある人生が今のところの目標、かな。

世界について思うこと

久しぶりにふつうのオンナノコ理論についてちょっぴりまじめに考えてみよう、と思う。

今年は世界的に大きな変化のあった一年だったと思う。
どう考えてもバランスの欠いた土地の価格が下落し始め、多くの企業が倒産し、ガソリンの価格が急上昇と下落を繰り返した。今までの価値観がガラガラと音をたてて崩れた年だった。

わたしはふつうのオンナノコとして今年の世界情勢について考えたりすることが、とても大切だと思っていて、それはTVや雑誌や新聞ではなくて、自分が肌で感じること、自分の信じられる人から聞いた話をもとに「今何が起こっているのか」について考えるべきだと思う。
そこには正解なんてなくて、間違っていても全然問題がなくて、とにかく考えることをやめてはいけない。そして自分の意見を持つことの大切さをたくさんの人に知って欲しいと思う。

まず、今のこの状況について。
世界連鎖不況についてとてもネガティブな要素がまいにち報道されているけれど、わたしはそんなこと全然思っていない。今目の前で起きていることは「ルール変更」で、新しいルールが作られる時期、つまりはチャンスだと思う。

今までたくさんのものを持っていた人ほどこのルール変更について「恐怖」を感じることだろう。
だけれど、何もはじめから持っていない人(=わたし)にとってみればこんなに面白いことはない。わたしは失うものなど何もないし、守るべきものもない。

こういうときにはいち早く新しいルールという波に乗れた人が有利になる。今ある不必要なものをいかに早く捨てられるかがポイントなんじゃないかしら。

失業し、毎日に希望が持てない、という人もいるかもしれない。だけれど、気がつけば間違いなくこれはチャンスなんだと思う。今まで自分が弱い不利な立場にいたのだという、自覚、気づきがあればそうじゃないように、この状況を変えるべき、立ち上がればいいのだ。どうして悲観的になる必要があるのだろうか。

何が起ころうとも、わたしたちは生きていかねばならないし、息をして、生活し、恋をして、仕事をする。本当に必要なものは絶対に手放したりできない。それが人間だと思う。だからこれはシンプルな生活、シンプルな考えを取り戻すチャンスだと考えればいいんじゃないかな。

わたしは派遣社員としてのデメリットを自覚していなかった人がこれほど多いいのだ、ということに愕然とした。だってそういう雇用形態にもかかわらず、自覚せずに生活していたということだ。日々目の前におきていることについて「これはどういうことを意味しているんだろう」と考えて生きていけばいい。今気がつくことができてラッキーだったのだ。

今年の最後にわたしが言いたいのは、わたしたちは希望を持って新しい年を迎えよう、ということ。
これからもいろいろなことが起こるだろう。だけれど、変化を受け入れて、誠実に、本質を持って生きていくことができれば何の心配もいらないよ、ということ。

たとえピンチで苦しくなったとしても、またゼロからはじめればいい。
そういう気持ちでこれからも生きて生きたいと思う。

リアルパートナーシップ

エチカ

彼女は客観的に物事をみるチカラに非常に長けていたんだ、と最近ひどく感心させられる出来事があった。結構長い付き合いなのだが、今まで思ったことがなかった。

ほんまちゃんが考えているようなことは世の中にありふれていて、3日に1度くらいは聞くよ。そんなこと考えたって仕方ない。人生はなるようにしかならないんだから・・・とビシッといわれた。

非常に現実的な意見で、思わずそうよね、別に考えたって答えなんて出ないか、とすんなり納得してしまった。

また彼女の発言がとてもリアルで的を得ていたのだ。

わたしはどちらかというと「完ぺき主義」なところがある。妥協が苦手で、自分が大切にしているものを大切にしすぎるところがある。絶対的なひとつの選択肢を探してしまう。興味のない問いに対してはどうでもいいくせに。

彼女は自分さえしっかりしていれば今ある「選択肢」の中から何を選んでも大丈夫よ、と言った。なるほど。本当に自分に自信があるのは彼女の方かもしれない。そしてもっとも現実的だ。リスクヘッジされてる。

ただ、自分は彼女になれるかといえばなれない。それはわかっている。

ヘンなところで不器用なのだ。

そもそもわたしは自分の好きなものをすべて手にしなくてもいいと思っている。私が本当に心のそこから望むのは自分が大切にしているものの「幸せ」だ。自分が退くことでみんなが幸せになるなら、いつでも退くと思う。偽善だよ、というヒトもいるかもしれない。だけどそれは事実だ。そうして生きてきた。もしも本当に自分が手にするべきものならその後、またチャンスはやってくるはず。

リアルパートナーシップってそういうものだと思う。

自分は損をするかもしれないけど、だけど相手の立場に立って考えて、率直にアドバイスする。
時には言いたくないことも言わなきゃいけない。でもそれができるからこそ信頼できるんじゃないかしら。相手のことを思うからこその自分の行動でありたい、と。わかるまで説明したり、ディスカッションしたりする。時には何も言わずに行動することも大切かもしれない。

独りよがりにならずに、よりよい「リアルパートナーシップ」のしくみはどういうことだろうか、と考えている。

人はきっとどこかでつながっている

最近、本当にそう思う。

誰かの知り合いが誰かだったり。そういうことって意外と多い。

今日も素敵なパーリーへ行ったら、偶然会いたいと思っていたようちゃんに会えたし。

わたしは神というものを信じていないので(もしそんな存在がいたら戦争は起こらないと思う、世の中は矛盾だらけである)、奇跡とかそういうものもあまり信じてはいない。

それでも、自分の大好きな人がブログでとても共感することを書いていたり、そういえば、と思って連絡を久しぶりに取ってみたなんて話を聞くと、「ああ、人はきっとどこかでつながっている」としみじみ思う。

そしてそれはとても暖かい気持ちをプレゼントしてくれる。

きっとそういうことってあるんだと思う。

必要なときに必要な人と出逢う。

それを時々、運命と呼ぶ。でもそれはもしかしたら、自分が引き寄せてるんじゃないのかな、とも考えたりする。世の中に起きるすべての事を自分のせいにする必要はないけど、でもそういう運とかカンって絶対あると思うんだよね。

わたし、今までそういうものだけで生きてきた気がするし。

人はきっとみんな孤独だけど、それでもやっぱり希望を捨てられない。

だから今日も生きているんじゃないか、とそんな風に思う。

 

人の心に残ること

ほんまちゃん

最近はのんびりと、でもいろいろと考えながらまいにちを過ごしてます。それが楽しい!

もちろん不安に思うこともあるけれど、いたって前向きです。ウヒヒ。

これからのこと、どうしようかなぁと思っているのだけど、やっぱり何か「人の心に残ること、誰かの役に立つこと」がいいなぁと思ってます。自分にはなにができるだろうか、と。

できるだけ、シンプルに。本質を見失わないように、と。

やっぱり「ココロ」のある、相手に気持ちが伝わるような何かをしたいなぁと。まだしばらくはゆっくりできるので、慌てずに考えてみたいと思ってます。目標さえ決まればいつもそれにまっしぐら、なタイプだもんね。

・人を信じること

・リスクを恐れないこと

・自分の心をいつもオープンにしておくこと

自分には何もできないかもしれないけれど、でもできることを積み重ねていければ。

さぁ、まずは旅行の計画を立てなくちゃ!

 そして、どんどんやりたいことをやらねば!

当たり前のことを当たり前にするって意外と難しいんだもん。沢山の人をシアワセにするのも、目の前にいるひとりをシアワセにすることも難しい。でもあきらめずに、辛抱強く、成長し続けたいと思います。

いつも期待以上のサプライズを起こすべく、頑張ります!

おかしな努力

いつも自分で自分の生き方を決めてきた。
常識ではなくて、自分の中に答えは必ずある、と信じて生きてきた。

いつもうまくいくことばかりじゃない。
キズだらけになって、ドロドロになって必死にチャレンジを繰り返した。

迷って、悩んで、いじいじしたこともある。胃がキリリとしたことも。格好悪い自分もいっぱいいるし、全然完璧なんてムリで。

だけど、いつも自由でいようと、自由奔放でいる努力をしてきた。自分が正しいと信じることにいつだってチャレンジできるように、選択を重ねてきたつもりだ。

わたしは恵まれているか?

と聞かれれば、間違いなく

YES!!

と答えるしかないだろう。両親に愛されて、とても大切にされて生きてきた。いつも母が自分を支えてくれていることをとても感謝しているし、これからもすると思う。そして周りには素敵な人がたくさんいてくれる。魅力的で憧れる人が沢山いて、いつも私のために時間を割いてくれるのだ。こんなに幸福なことってないでしょう?ビシッと怒ってくれたりもするし。ありがたい、と思う。

もう何度も試行錯誤を繰り返してきて、そろそろ器用にこなせるようになってもいいんじゃないか?とも思うのだが、ちっともそれがうまくならない。うまく計算ができない。

いつも新しい何かに向かっていくときにはドキドキして、バクバクしてどうしようもなくなる。

でもそれが自分の選択した道だとしたら、後悔はしない。
絶対しない。

今まで選んできた自分の道を後悔したことはひとつもないもの。自分が好きでやったこと。いつだってその責任をとる覚悟がある。

誰かのことを羨ましいと思うなら、自分もやってみればいいだけだ。それをしないでグズグズと不平不満だけを言って大切な時間を失いたくはない。
何かを嫌だと思うなら「代案を出せ!自分!」とツッコむようにしている。不平不満が悪いのではなく、行動もせず自分は安全な場所にいて、批判をする人にはなりたくないだけ。そんな生き方どうかしてる。

人生は間違いなく不公平だ。
でも条件がなんであろうとも、そこで生きていかなきゃいけない。頑張るしかない。
私が知りたいと願うのは答えじゃなくて、解き方なんだと思う。

楽をして答えを教えてもらうことを良い、とする人がいてもいいし、自分で理解して「答え」にたどり着かなきゃ嫌だ、という人もいる。みんなが同じ答えじゃなくてもいい。

そう思うと少し楽にいられるかな。

わたしはきっと、これからも「おかしな努力」を続けると思う。
誰かに誤解されたって、自分がきちんと見ているから大丈夫。そしてちゃんとわかってくれる人に出逢うはずだ、とそんなことを信じている。

そして今日も自由奔放で試行錯誤のまいにち。

危険信号!

フラウここ最近珍しくジタバタと考えていたことがあって、まだうまくそれを説明することができないんだけれど、今日はほんの少しその答えに近づいたような気がしている。

そのままでいること。
自分らしくいること。
いつも感謝の気持ちを忘れないように。

直感を信じて。迷うってことはダメだということ。それほど欲しくないということだ、きっと。
本当に欲しいものは迷ったりしない。そういうものだ。

結局はシンプルな答えに行き着いてしまう。

この世に確実なものなんて存在しないのだから、とにかく自分らしく、リラックスして、ポジティブに生きるしかないもの。

わたしはかなり幸運で、とても恵まれているのに、自分の人生の答えを決められず、見つけられずにいて少しあせっていたのだと思う。怖かったのだ。きっと。
答えがないことに。
でもよく考えたら答えなんてないんだ、きっと。ジタバタして苦しんで、喜んで、笑って、そういうところから自分らしさを見つけて、育てていくものなんじゃないかって。
少し調子に乗っていた?嫌なやつになっていなかったか?ネガティブになっていないか・・・ムリしていないか。我慢していないか。定期的に問いかけることにしている。

でも今日ふと気がついた。
一番ダメだったのは、悩んで選んだ服だったのだ。久しぶりに掘り出したブラックドレス。
あれがあんまり似合っていなかった。やっぱりダイアンを着るべきだったのだ。
悩むってことは危険信号だったのに。
かわいい服でないとやっぱりあたし、ダメみたい。

ははは、結局それですか・・・(´д`lll)

Do you know What I mean?

人は経験することからでしか何かを学べないと思う。

だから、まだ誰もしていないような経験をすることは大切。
当たり前だと思って経験していないことをやってみるのもまた大切。考えたことをやってみる。トライする。これが重要。
想像するだけで楽しい、というのはエンターテイメントとしては素晴らしいけど、結果としてはまだまだだと思う。

しかし、経験ほど厄介なものもないと思う。
そして、その経験は自分で掴み取ったものか、誰かに与えられたものかも実は大切。経験しないよりはいいけれど、与えられたものはすぐに古くなる。でも自分で手に入れたものはなかなか古くならない。いつも与えられるだけの生活に何の魅力があるのかしら?それはわたしにとっては退屈だ。与えて、与えられる中でわかることのほうがずーとずーとたくさんあると思うよ、ほんまちゃんは。

知るというのは、楽しくて恐ろしいことでもある。

「知った不幸がある」と私の尊敬する人がよく口にしていたのだけど、最近ね、それについて深く共感するようになった。
わからない、というのはある意味自由なのだ。どんなことでも受け入れることができるから。
だけど、知ってしまったら最後、中途半端なものでは我慢できなくなる。
常に最上を求めてしまうものなんだと思う。それは素晴らしいことだけど、苦しいことでもある。きっと。

それでも、知りたいと願う自分は欲張りなのだろうか。
いやなやつ?

でもね、いやなやつでもいいの。
自分が信じることをやるためならば、わたしはなんでもする。今までだって、自分が信じることを重ねてきただけだ。
誰かを傷つけることも、嫌われることもあるはず。もちろん、崇拝されたり、愛されたりすることも。だけどね、どちらにしてもそれを受け止めるだけの強さは持っていると自負しているから。
今までもたくさんのことをやり遂げてきたから、この先も何があっても大丈夫だと思うの。
根拠のない自信。
これがほんまちゃんの最大のウリなのだ。ウヒヒ。

というわけで、いつもフルスケジュールな毎日です。ううう。

すごいヤツを探せキャンペーン

私はたいてい、ちょっとおかしなことを考えている。

私の知り合いはたいてい、変な人である。

私はその変な人たちを愛している。

私は変というより、個性的な人が好きである。自分の意見のある人が好き。きちんと自分の頭で考えているひとが好き。

私はやっぱり好きだと思うものに囲まれて生きたい。ただ呼吸をして生きているだけじゃつまらない。自分だけの人生を見つけたいと願う。これってわがまま?

クロエの靴というわけで、ただいまホンマニアでは変な人を探せキャンペーン中です。
変な人を見かけたら、ぜひ紹介してください。

で、同時に今必死で探している自分自身の変な知識と交換しましょう。
誰かにとって、私の何が売りになるのか、を今全力でリサーチしてます。
とりあえず、i-googleをリリーフランキー風にしました。
小さいけど、くだらないかもしれないけど、小さな一歩。
少しずつ自分の周りを変えて行きたいの。好きなもの色にね。カスタマイズバンザイ。

私は私にしかできない何かを探してます。
だから毎日試行錯誤。

写真は今日デビューさせたクロエのきゃわいいパンプス。かなり気に入ってます。うふふ。しあわせ。

アッシュアンドダイヤモンド名刺ケースとりあえず、古びていた名刺ケースをアッシュアンドダイヤモンドのものに変更。
基本黒なのにベルト部分がピンクにキラキラ。
地味可愛い。春に気に入って友人にプレゼントしたものとおそろい。ウヒヒ。

無印 落ち綿のふきんで、これもまたずーと買いたいと思っていた落ちワタ布巾。
靴とかお部屋とか、食器とかなんでも使える便利そうなアイテム。

刺繍の糸でちょっと加工しようかな。

で、最近買ったこれらの共通点は・・・ない。(笑)
金額もブランドも関係ない。ただ自分がこれはいいと思ったものを買っただけ。
必要なものを必要なだけ。

これもまた、「すごいヤツを探せ」キャンペーンの一環。

今はこんな毎日がとっても楽しい。

lie-lie-lie

絵嘘を否定するつもりなどまったくない。
だけど、嘘-lie には不安定で浅はかでそして甘やかな側面があることは誰もが知っていることだと思う。

嘘は貴重だからこそ価値があるのであって、年中ゴロゴロとしているのはみっともない、と思う。
狼少年は結局不幸になったのだもの。

わたしが唯一許されると思われる嘘は相手を傷つけず、それが一生バレないとき、もしくは明らかに嘘だとわかるとき(ジョーク)、そして自分以外のだれかが利するとき(誰かのためになる時)だけだと思う。
嘘には覚悟とそして知性が必要なのだ。きっと。
でも残念ながら多くの人はその才能を持ち合わせていないと思う。でもどうして嘘をつくのだろう。つく必要もないような嘘を。

ほんまちゃんにはその才能がないことを早くから理解していたので、嘘は必要最低限だけだ。ほとんどつかない。

自分が一番得する嘘、は一見得のように見えるときがあるかもしれない。だけど結局は損だと思う。
信頼を失うから。信頼できない人は苦手だ。少なくともわたしは。

私が好きなのは率直で素直でちょっと不器用な人だ。本来は捨ててもいいものを大切に、たいせつにしてしまうようなそんな人。・・・たぶん。(-_-:)

me時々、ふと考える。
自分はどんな人になりたいのかっていうことを。

わたしはよく「贅沢」という言葉を遣うのだけれど、それは状態のことでモノのことじゃないのだ。

いつも幸せを感じて生きること。これは贅沢。

たくさんのものに囲まれて、生きること。これは贅沢とは限らない。

人はなりたい自分にしかなれないと思う。自分が本当に望むモノにしかなれない。何をいいと感じて、どんな風に選択を重ねてきたか。そういう普段の、人間の奥底に潜んでいる「価値観」だけはどんなに地位や名誉や財産を得たとしても手にすることは難しいのだと思う。

育ち、というのは半分は生まれた環境が、そして後の半分は自分自身で創れるものなんじゃないかしら。センスともいうけれど。おいしいものがわかるセンス、美しいものがわかるセンス、どんな選択をするか・・・それもすべて同じセンスのような気がする。経験の数だけでは補えないもの、それがセンス。結局最後はどこかでつながっている。そしてたぶんそれは、信念じゃないかしら。

お金があっても、いつも不安でそれを失う恐怖を持ち続ける人はきっといつまでも幸せにはなれない。

自分だけの価値観を持っている人はいつも自由で、そのままで、嘘がないものだ、と私はそう信じている。
そしていつか自分もそうなりたい、なれると本気で信じている。

だからきっと今日も自由でいるために真剣に仕事をして、誰かと出逢い、好きだと思うものを探して、幸せを感じて生きているんじゃないか、と思うことにしている。それが幸せだと感じなくなるまで。



Could you tell me about yourself?

苦手なことがある。

あなたは何者ですか?

と聞かれることだ。

スタバでのひとときあたしだって、自分が何者なのかがわからない。だから自己紹介してくださいといわれると困る。職業を答えるべきか、今までの経歴を答えるべきか、もしくは何も答えないべきか。試行錯誤中。

相手は何を望み、どんな答えを欲しがっているのかがわからないから。この人は自分をどんな風に観ているのだろうかと考えて、素直にそのままの通りに答えようか・・・それともちょっと意外な一面をだそうか・・・と考えれば考えるほどこんがらがってわけがわからなくなるのだ。

いろんな自分がいる。そのどの顔を見せればいいのかがわからない。でもどれも本当の自分だし間違いではないから。

ただ、言葉にしてしまうとあまりに陳腐なものになってしまう気がして怖いのだと思う。だって本来はその人がどんな人かだなんてたくさんのコミュニケーションの中から感じ取るべきものだし、簡単にわかったりして欲しくないし、わかるなんて言葉は使いたくないもの。無意識にしていることがその人の本質をあぶりだしてしまうと感じることがたくさんある。その人の行動を見ていれば実はたくさんのことがわかる。細かいひとつひとつのメソッドがピタッとくっつくその瞬間、わたしにとってのその人のキャラクターが形成されたりする。そしてそれが一番大切なことだ。

自分がきちんと確かめた、確信しているものだけについてしかいえない。自分にとってその人はどんな人かしか言えない。
でもそれで十分。

たいていの人は自分をよく見せるのに必死で、なんだか苦手だなーと。ぺらぺらと話す人をいまいち信用できないでいる。私は言葉をとても大切にしたいから。大切にしているものを丁寧に扱いたいから。

もちろん自分をよく見せることは技術として必要だと思う。
わたしもそれを利用するときがあるし、必要ならば自分の持っているものはすべて使うつもりだけど。ははは。

でもそういううわべだけのことって本質を理解しているひとにはすぐにバレちゃうと思う。人間的薄さ、ぺらっぺらでいたくないもの。でもその先に自分自身の本質があれば大丈夫。

今はまだ上手に自分のことが伝えられないでいるけれど、たぶんわたしは私自身でしかないと思う。わたしはほんまちゃんでいることしかできないし、ほんまちゃんをどうしていきたいかをずーと考えて、必要なときに必要なものを与えていくことしかできないのだ。

ああ、本当に不器用でめんどくさい。
でもそんなめんどくさい自分を愛すべき存在に変えられたらいいなぁと思ってます。ウヒヒヒ。

I have a ???

I have a dream,
I have a friend,
I have a tomorrow.

私たちは気がつくことさえできれば、たくさんのものをすでに持っているのだと思う。
夢も希望も未来さえも、望むものを手にすることができるんじゃないか、とまっすぐにそう思う。

と同時に何も持ってはいないのではないか、と思うこともある。
知らないことはたくさんあるし、物事を知れば知るほど、深さを感じたり。

毎日が猛スピードで過ぎていって、自分の価値や理由なんかがわからなくなるときだってあると思うの。

そんな時、みんなはどうしてる?
どうしているんだろう・・・。

ほんまちゃんはいたって簡単。
いいことも悪いことも、これはギフトだって思うことにしてるの。
何かを失うことは何かを得ることだと思うから。チャンスだ、と。苦しいときほど人というのは雄弁に語るのだ。試されていると感じる。そして、何が何でもこのチャンスを生かしてやろうじゃないの、とメラメラと勇気がわいてくる。負けず嫌いな性格が今の自分を造っていると思う。もっともっといい自分になれるはずだ、という向上心が今の自分の源になっていると信じてるの。

というわけで、ついにお高いソフトを買ってしまいました。勉強のためにね・・・。とにかく、うれしくて。これからたくさん覚えることがあって、わくわくするの。こういう興奮が大好き。やめられない。そしてアドバイスをくれる友人にも感謝なの。

私は収入の最低35パーは将来の自分への投資だと思っていて、それは学習のために使うと決めてる。新しいパソコンを買ったり、ソフトを買ったり、学校へいったり。興味あることを勉強するために使ってます。
ちなみにおいしいものを食べるのも自己投資のひとつ。あれ・・・70パーは自己投資してるかも・・・。(笑)

とにかく「すごい」しかいえない瞬間

自分が信じることを、ただまっすぐに信じて行動することしかできないのよ、と告白してしまうことがよくある。
そしてそれを聞いた人は「ほんまちゃんはまっすぐすぎるね、不器用?」なーんていうか、「若いねぇ人生はもっと楽にいきていけばいいんじゃない?」とかたいていは疑問系で帰ってくる。
そのどちらの返しにもどう答えていいのかわからなくて、たいていはにっこりと笑ってごまかすことにしている。

もちろん意見は聞く。自分の考えだけが正しいとは思わない。打率でいったらわたしの頭脳なんてひどいものだからね。
だからいろいろな立場の人の話を聞きたいと思うし、さまざまなことを知ることは大切だと思う。

ただ少なくとも自分が行動するときは、自分が正しいと思うことをするだけだ。人の意見を聞いて納得すればそれは自分の意見だもの。

本当にすごい人というのは、きちんと自分に厳しく、正しいと信じることを実行できる人だと思う。
そして、私のまわりにはそういう人がいる。

昨日、とても大切にしているレストランへお出かけしたの。素敵なお客様をお連れして。
驚いた。席が半分しかうまっていなかったから。
そんなの、ありえない。(高級の予約困難店だもの)

よくよく話を聞いてみると、2番手の方が卒業して今のメンバーではお客様に自分の満足する状態でお料理をお出しできないのでしばらくの間予約は半分しかお受けしないことにしたのです、と。(少なくとも私にはそのように聞こえた)
これがどんなにすごいことかわかる?

わたしは唸ってしまった・・・。

人は人からしか学べないことがあると思うの。
素敵な人からは素敵さを学べる。人の欠点からは何をしたらダメなのかが学べる。
そして人は口に出す言葉がすべてじゃない。その裏にある何かをわたしは知りたいと願う。言葉ではいえない何か、言わない何かを知りたいと思う。それはきっと全然違うこともあるだろうし、正解のときもあるのだ。
そして言葉や文章だけではなくて、直接会うことで経験することで、何かにふれることでしか本当のことはわからないと思う。不用意に知っているという言葉は使いたくない。

ほんまちゃんは幸せモノです。
こういう素敵な人がまわりにたくさんいて、猛スピードで上質な学びが与えられるのだもの。

最後に、わたしからは何を学べるのかをフィードバックすることと、この店に行きたいというお願いはお許しください。

いい店というのは奪い合いです。仁義なき世界です。
人に頼るのではなく、自分で何とかすることを覚えるのもまた思いやりです。

えっ、わたし?
わたしは・・・ひとりでこっそりと通わせていただきます。ウヒヒヒ。(悪い顔・・・)

肩書きにとらわれない生き方

正直いって、わたしはかなりのわがままだと思う。
そして肩書きというものには興味がない。

というのも、わたしはいつも自分が好きだと思う人は好きだし、嫌いだと思う人は嫌いだからだ。
第一、その人が有名でもべつにわたしに何かしてくれるわけじゃないでしょう?そしたらそんなの関係ないもーん。

なりたえらいと一般的に言われる人の中にも好きな人はいるし、嫌いな人もいる。
魅力的な人は好きだけど、そうじゃない人にはひどいくらい無関心なのである。

正しいかどうかと聞かれたら、わたしなんてきっと大間違いなんだろうけど、それでも間違いはあながち間違いではない気がしている。

なりた今日はお友達とごはん。両手に花、うっしし。
みんなきちんとおいしいものがわかって、きちんと自分の意見を主張できる素敵なメンバー。
わたしはね、そういう人が大好き。というかそういう人としか付き合わない。どんな友達と一緒にいるかは大切でしょ?自分の大切な時間を共有するのだから。素敵な人と一緒にいたい。
そしていい悪いではなくて、自分が思うことを正直に伝えることができるというのはすばらしい能力だと思う。

なりた素敵な夢を見ましょうね。おやすみなさい。

Change! Not change?

スタバモーニング飲みすぎた次の日とか朝ごはん食べていない日とか、少し考え事をしたい朝はきまってスタバ。わたしのランチはたいてい3時くらいと遅めなのでこれは必需なのです。

ここ最近感じること。
それは自分というものが確立されてきて、いろいろなことに惑わされなくなってきたかも、ということ。

いろんな出来事の中でああこれは好きとか、これは苦手だから慎重に、なんてことがわかってくる。それは楽だし、心地いい。やっと自分らしさを手にできた気がする。それはとても、嬉しい。

もちろん新しいことにチャレンジするときはドキドキして、うまくいかなかったらどうしよう・・・と不安になることもあるし、失敗しちゃう時だってある。だけど変わらない部分、ベーシックな自分があるおかげでどれだけ救われるか・・・と同時に変化できる自分を誇りにも思う。

変わることも、変わらないことも、自分の判断でコントロールできるのが大人だと思うの。
だからきっと、大人は楽しい。

プラダ携帯わたしね、嫌いな人ってほとんどいないの。ぶっちゃけ、興味ないなぁって人はたくさんいるけど、でもそれは嫌いとはちがうわよね?いつもその人のいいところをみたいと思ってる。じーっと観察していると必ず魅力的な部分がわかるのね。人は本当に面白い。個性的な人、誠実な人が私にとっては大切みたい。あとね、わたしが人より優れているのはね、忘れることが得意なのよ!嫌なことがすぐ忘れられる。(笑)
学習能力が低い言い訳。ハハハ。

絶対これじゃなきゃダメッッ、なんてものはひとつもない。完璧である必要もない。
でもいつも成長し続ける魅力的な人ではいたいと思う。冷静なもう一人の自分から見て、魅力的な自分でいたいと思う。自分が一番自分に対して厳しい目でみているなぁと最近気がついたりしちゃったけどね。自分神恐るべし。ぷるぷる。

とにかく、変わるにしても、変わらないにしても自分らしさは大切にしたい。
そして、今自分の近くにいてくれる人を幸せにできたらいいのに、と願う夜なのでした。だって、私の周りには本当に素敵な人がたくさんいるんだもの。身分不相応。ほんまちゃんがいつも幸せなのはみなさんのおかげです。はい。
ありがとね。


やっぱりモテなのか?

今日しみじみ思った。
いや、べつに何かがあったわけじゃないんだけど。

やっぱり、人間として生まれたからにはモテないといけないのだろうか・・・。でも、モテるにはどうしたらいいんだろう・・・。

考えた。一応私なりには考えた。
んがしかし、ちっとも浮かんでこない。

やっぱりなー、今まで好き勝手(いや、マイペースか)に生きてきて、いきなりモテるような、CamCamの王道を行くような生き方ができるはずもないかぁと、自分の器を3秒くらいで判断。あははー。

自慢だけど、今いる会社の子はねー、みんなかわいいよ。顔で採用しているなって(もちろんそれだけじゃないけど)確信するのに私なら1秒だもん。おほほ。みんなモテそうだなーとそんなことばかり考えてました。(告白?)
いろんな人からちょっとかわいいなーと思われるくらいが実は一番なんじゃないかって気がする。

でもわたしは、私が好きな人から愛されればそれで十分だと思うんだけど。逆に好きでもない人からモテたところでそんなのたいした意味はないんじゃない、と。もちろん、気分はいいかもしれないけど意味はないよね、意味は。
・・・ええ、強がりですが、何か?
でも結局のところ、自分が好きな人から愛されるのは最も大変なことなのかもなぁ。特に愛され続けるのは努力なんだろうなぁと。

私にとって、きれいでいるのは自分のためだし、誰かからチヤホヤされたいとも思わない。(いや、好きな人からはチヤホヤされたいっす・・・)でもじゃあ、美容って何のためなんだろう。

美しいものにはやっぱり惹かれる。
だから圧倒的な美しさの前では自分は無力だと思う。そして無力だからこそわかることもたくさんある。
だからきっと、美しさというのは強さなんだと思う。

えー、つまり何が言いたいかというと、肌の調子めちゃくちゃいいです。うふふー。(結局それなのね)
でもね、何のために私はこんなことするんだろうって思って。やっぱり自己満足かな、それとも実はモテたいのかな、とかいろいろ考えてみたのだ。で、結論は自己満足だなって。(笑)

きれいな自分でいたほうが、自分を好きでいられる。好きな自分でいるのは楽しいし、気持ちいい。
だからきっと、自分のために美容ってあるのかなってしみじみ思っちゃったりしたの。

誰かに「君じゃなきゃだめだ」といわれるよりも「私は自分のことは自分自身で決められるから」というほうがリアリティがある。
・・・だめだ、こりゃ。

それ、間違ってます!

今日、同僚から言われた。

「ほんまちゃんは図太い」
いや、正確に言うと図太いとは言ってなかったけど、どっしりとしてる、とか動じないよねーみたいなことはハッキリといわれたような気がする。

・・・えっ?

いやいや、ウサギ科ほんまちゃん(自称)としてはかなりビビッたわけです。あたしなんて、いつもドキドキしてるしー、いつも繊細な心で仕事をしているわけですよ。チキンハートですよ。たまにはうまく、力強く誰かを説教したい、なんて願望があるくらい。

と隣でぶつぶつと唱えるほんまちゃんを尻目にヒットミーの株は急上昇デス。
ちっ、何も知らないくせに。

そうです、たまたま仕事でヒットミーがほんまちゃんの会社に来たのです。
随分前から、「あたい、そっくりなおねいちゃんがいるんでー」とアピールしていたにもかかわらずヒットミーを見た同僚は「いやー、そっくり。声までそっくり。超似てるぅぅぅぅ!」と大興奮。そのキラキラした目でわたしを見ないように。

だーかーらー、似てるっていってんじゃないの。
大人な私はぐっとこらえた。

おとな、大人よ、ほんまちゃん・・・。

で、結論。

ほんまちゃんよりオンナらしいねー。かわいいねー、やわらかい雰囲気だねぇぇぇ

だ、そうです。

あたいだって、ここに来たばかりのころは初々しくて、可愛くて、柔らかかったのよ、と力説してみたが、振り返ったら誰もいなかった・・・。ちっ、正直なやつらめっ。

というわけで、ほんまちゃんは男前で困難な状況でもちっとも動じないという評価であることがわかった一日。おねいちゃんは女らしくてほんまちゃんは男らしいね、だって。ムキー!
コラコラ、直接的すぎるでしょーが。

まだわたしの良さが完全には伝わっていないようだけど、まっ、あたしは大人なので許してあげることにするわ。おほほ。

なーんていいながらも、自慢のヒットミーを紹介できたのはなんだかうれしかったな。


Old days

きっといつか自分も歳を取って昔を懐かしく思い出したり、甘美な日々を、若い時に犯した恥ずかしさを想ったりするのだろうか、とつい最近まで空想してたほんまちゃんです。
で、冷静に考えたらもうそんな歳なのかもなぁと。ふと気がついちゃったわけよ。

歳を重ねていくのは本当に楽しみ。楽しみで仕方がないの。
これはね、本心。本気よ。
もしかしたら少しくらいは焦ったりしなきゃいけないんだろうけど、でもそういう気持ち全然ないの。

だって、わたしの知っているステキな人たちは年齢は関係ないもの。ステキな人はいくつになってもステキ。だからわたしもそんな人になりたい、と思ってるのだ。

若くて可愛いだけの存在にならないように、そんな価値観だけに左右されないように、慎重に自分を創りあげてきた自信はある。いつもいつも必死に考えて、行動しているから。若いことはとても価値のあることだけど、絶対にいつか失うものだからそんなのを頼りにしちゃだめよね。どうでもいいものに囲まれているとどうでもいい人生になっちゃうと思う。わたしは本当に欲しいものだけで生きて生きたい。

過去を思い出すとき、もちろん反省することってたくさんあるけど、後悔したことはただの一度もない。
自分が選んできた道がベストチョイスだったと信じてる。
ないものを想っていても仕方ないもの。今持っているものをフルに生かして、伸ばしていくことで自分の期待に答えたい。
だから毎日少しずつ、自分を好きになる。いい歳の重ね方ってそういうものだと思う。

この間、久しぶりにわたしのことを良く知る友人とごはんを食べたのだ。
お互い全然変わらないね、と顔を見合わせて笑って、Old daysについておしゃべり。
あの頃のわたしたちは今よりもずっと子供で、どうしようもなかったけど、こんな風にその頃を笑えることは最高の宝モノ。

ほんまちゃんは相変わらず根拠のない自信でできてるよなぁ、と憎まれ口をたたいた後で、でももっともっと幸せになるんだよ、とかいってくれた。それでわたしは、(本当はすごく嬉しかったのだけど)今でも十分に幸福だけど、もちろんもっと幸せになるに決まってるでしょ、と憎まれ口で答えたのだった。

本気で自分のことを想ってくれる、こんな友人を持っていることを誇りに思う。Old daysをこれからも大切にしていく。もう決まっているのだ。

Talking Voice

誰かを思うとき、意外と「声」について記憶していることが多い。

その人はどんなことをどんな風にどんな声で話をしたか。
そのすべてのバランスが美しい人と出逢ったとき、魅力的だなぁと感じる。

個人的な好みでいえば、わりと低めの声で早すぎず、ゆっくりすぎず、相手の様子に合わせて話すことができる人が好き。
強い意志を感じさせる、まっすぐに伝わるものの言い方が出来る人を尊敬する。媚や嘘のないことがわかる人っていうのがいるのだ。羨ましい。
たぶんそれは自分には出来ないことだからなのかもしれないけれど。そしてほんまちゃんはそれを欲しているから。
とにかく、わたしは話すことが苦手なのだ。特に数回しかお会いしたことがない人ならなおさら。この人見知りをなんとかできないものか、今も思案し続けているくらい。

男女ともにそれはいえることで、声って、話し方ってその人が丸裸になってしまうのかなって。
どんな人なのか、どうなりたいのかが輪郭を帯びて出てくる気がする。
ああ、怖い。無意識な部分に本当の自分がひょっこり顔を出してしまうなんて!

で結局のところ、ええあたしはこんなもんですよ(心の声)、そのままで恥ずかしくない自分でいるしかないなという結論になったりする。

やっぱりね、声は大切ですよ。福山だってあの声がなかったら・・・でしょ?(失礼?)
ちなみに憧れの声はやっぱりノラかな。低くて雰囲気のある声。
マイブルーベリーナイツをみながらそんなことを思ったんだった。

Coincidence

偶然とか、たまたまとか、そういったものってやっぱり確実に存在するんだと思う。
もしかしたら・・・いやほとんどの確立でわたしでなくてもいいことって言うのが世の中にはたくさんあって、でもそこに自分がいたことで偶然チャンスを手にできたことって実は多いんじゃないか、と思ったりする。

たとえば、旅行先でお友達になったChrisやKevinから「元気にしてる?」なんてメールが届くと、偶然の出逢いって面白いなぁと思う。たまたま飛行機の中で、現地で少し話をしただけなのに、何年間もメールのやりとりをしている、彼らが住む街へ旅をすれば一緒にごはんを食べるなんてことをとても不思議に思うのだよね。それこそたまたま、だもの。でもわたしが仲良くなる人はみんないい人で人を見る目はあるのかも、とちょっと嬉しくなったりする。

友達だってそうだよね。きっと出逢うタイミングが違っていれば仲良くなれなかっただろうし、続かないと思う。
そういう瞬間はやっぱり嬉しいし、また出逢いを大切にしたいなぁと。

そういう「たまたま」のタイミングで一緒にいることが運命なんじゃないかって。

Coincidenceのたくさんある人というのは、やっぱり魅力的だし、強運だと思うんだよね。

たまたま助けてもらえたり、
たまたま思い出して声をかけてくれたり
たまたま誰かに手を差し伸べることが出来たり
たまたま出逢って、お友達になれたり。

Coincidenceって実は大切かもなぁと最近そう思ってます。
ってゆーか、ほんまちゃんはそんなのばっかりでできてるし。あははー。

嵐のような3月

年度末というのはなんだかとても慌しい。
今年度の締めくくりにいろんな感謝を伝えたくて、ついつい予定がパンパンに。
みんな本当に大切なひとばかりで、楽しいひととき。

というわけで、あっという間に過ぎていった3月。

サクラも満開になって、一年ぶりにバンコクへ旅をしたり。
美味しいものも沢山頂いたし、ステキな人とも沢山逢って、話をして、刺激を貰った。

きっと、この時間は一生続くわけではないけれど、わたしにとってとても重要なものになるんだろうなぁという確信はあるのよね。なんでもそうだけど、わたしは気になったことはとことんやってみないと気がすまないタイプ。
自分が納得するまで、ムリしてでもやってしまう。で、気がつくとほとんどのことはなんとかやれてしまうのよ。

わたしはね、もっともっといろんなことが知りたい。
試行錯誤して沢山失敗もして、きちんと自分を創って生きたいなぁと思うの。
そのために、自分を信じるし、自分が信じた人を信じたい。
みんなが、じゃなくて自分が信じるものを大切にしたい。

どんな人と付き合うか、その人は何を思って生きているかを理解したい。だって、誰と一緒にいるのかは大切だもの。
ずるい人やいつも自分都合の人や誠実さのない人、人に犠牲を要求する人とは付き合わない。
心が寒くなるような思いはしたくないでしょう?きっと人は人に与えられるものが帰ってくるんじゃないかしら。人はそんなに器用じゃないしバカじゃないと思うから。

もしかしたら、ほんまちゃんのことを誤解している人もいるかもしれないけれど、でもそれすらも自分の一部なのだと覚悟を決めればもっと違う何かが見えるのかな、と思っているのだ。

うん、頑張って楽しんで過ごした3月はきっと4月からのわたしを支えてくれると思う。
これからも、ホンマニアを頑張っていきますからね。うししし。

日々の景色に何を見る?

フェンディのディスプレイ
後ろの背景が可愛くて、パチリ。

毎日、こういうちょっと気になるものの写真を撮って、復習。そうすると自分が好きそうなものの傾向が見えたり、ちょっとしたデザインをする時の基になったりする。

まいにちのちょっとした積み重ね。
ほんまちゃんのモットーはね、人はそんなには違わない。ちょっとしたことに気がつけて、ちょっとしたことを日々積み重ねることが実は最も強いこと、だと思っているのだ。

誰かの立場を的確に想像できて、相手の立場に立って物事を考える。言葉に出来ない思いを言葉に変換できたり、思う前にサッと手を差し出すことが出来たり。わたしはずーとそういう人になりたいと思ってきた。

それは素晴らしいことだけど、もしかしたら疲れることなのかな。タフでなければ、もっと・・・と思ってタフになりすぎたかな、とチロッと考えたりもする。可愛くないオンナノコ代表にならないように気をつけなくちゃ。ハハハ。

わたしは本当に大切なもの以外は欲しくないのだ。たくさんのものを持ちすぎていると、いろんなことに鈍感になってしまいそうで怖い。ただまっすぐ自分らしくいるしかないことはわかっているんだから、やっぱり丁寧に日々を過ごしていくことしかできない、と強くそう思っている。

made of IT + gourmet + cosmetology + bangkok

bkk01.jpgというわけで、自分可愛がり主義のほんまちゃんはお休みのタビに必ずどこかへ出かけていって、新しいことを吸収してます。ウヒヒヒ。

わたしね、思うのだ。
その人を作るのは経験だと。それ以外ありえない。

誰かが自分の代わりになんてなれないし、誰かの話を聞いただけでは自分の価値は上がらないと思う。人の話を経験を聞いて、それを元に自分でやってみて初めて、自分のものになるのだと思う。ヒントはたくさんあったほうがいい。でもとにかくヒントを生かしてやってみなきゃはじまらない。

だからできることは自分の力でやってみたい。それが自信にもつながるのかな、と。
最後は自分がどうにかできる、そんな自信がなければ開拓していくことは難しい。

もしも自分じゃない誰かが何かをしてくれるのを待っていたら時間がかかる。お金も手間もいろんな目に見えないものを犠牲にしなきゃならなくなる。でも自分でやれればそれらは短縮できる。で、そのできるものを得意分野、専門分野に育てられれば、ほかの誰かと価値の交換ができる。自分が出来ないことをやってもらう代わりに自分が出来ることを差し出せる。世の中のすべては価値と価値の交換が基本でしょう?自分の価値をあげることが出来れば、周りにいる人にもその恩恵を与えることが出来るんじゃないか、と。ハッピーにできる。

そうなれれば、しめたもの。ヒヒヒ。

bkk12.jpgで、実はその自分の専門分野は誰かとかぶらない方が有利なのだ。わたしの人生のモットーは人となるべく違うことをするってことなのね。疑問に思ったことは自分で確かめてみる。それから、やらざるを得ない環境に飛び込むこと。きついけどやらなければならないのなら、自然とやれるようになるものだと思う。

たとえば、日本の90%は中小企業なのに、能力のある人はみんな10%の大企業で働く。でもなんかそれっておかしい。なんとなくそんな気がしたのと、わたしは特別優秀ではないからじゃあ中小企業のスペシャリストになろう、と思ってもうすぐ10年。その戦略は幸運なことに間違っていないんじゃないか、と思えるようになって来た。まだ結果は全然出ていないけど。ハハハ。

ITの専門分野に加えて、グルメと美容、バンコクという得意分野。これが少しずつ見えてきた自分の武器なのかな。今もまだ試行錯誤の途中だけど、この軸を中心に世界のいろんなことを見て、経験して、自分の価値を高めていくことができたらいいなぁと考えてます。そしていつかは美しい花にして、実にしなくてはと思っているところ。

そんなことを思いながらのタビなのでした。
裏テーマ、ウラ・テーマ。




おとなになったら・・・

もっといろんなことが簡単に出来るようになると思ってた。

大人になることで、たとえば自分の欲しいものを自分で買えるようになったし、昔できなかったことができるようになったり、お酒がおいしいと感じたり、ステキな人と出逢うこともできた。

だけど、単純に感動したり、感激したりすることが少なくなったかもしれないなぁ。

自分がそのとき好きなもののうち、今でも絶対好き、といえるものはほんのひとにぎりで、あとははかなく消えていった。

ちょっとずつちょっとずつ要求するものが高くなって、自分にとっては当たり前になって、感動もしなくなって。
それははたして幸せなんだろうか、と思う。でもだからといって知らないのはもっといやだ。不幸でも知り続けるほうがわたしにとっては大切なこと。だって新しいことを覚えて、分かるようになるってことは嬉しいことじゃない?
だけど、生まれたばかりのういういしさはどこかに消えてしまうんじゃないかって。

どうしたら、スタートしたばかりの気持ちを持ち続けられるんだろう。
何も知らない自分を捨てずに、そのときの気持ちを忘れることなく、成長することってできるのかしら。
知らなかったときの自分もずーとちゃんと持っていたい。

昔できなかったことが今出来るのも事実。
今できないことが昔できたこともまた真実。

だとしたら違う道は、選択肢はなかったじゃない、と。
やっぱり、昔も今も好きだといえることを続けるしかないんだと思う。
そういう変わらないステキなもののいくつかと出会えたことだけでも幸運なんだし。
好きなことがあるっていうのはそれだけでとっても幸せなこと。

せめて本当に好きだということは誰にも負けないくらいピカピカに磨きたい。そういうものがたった一つでもあれば、何かは人に与えられるでしょう?

いつも何かをもらうだけなんてつまらない。
自分も何かを与えられる人でいたい、少なくとも気持ちだけは。

キャッチボールをし続けることが出来る人でいたいなぁとしみじみ思った。

今日とっても優しい友人たちと一緒にいる時間を持てて、なんだか嬉しくて。自分のできないことをサラッと隣でやっている姿ってすごい。尊敬してしまった。わたしもそんな人になれたらいいなぁと。いつか、誰かに面白いとか、優しいとか、すごい、とか。プラスの何かを与えられればいいのにって。

ステキな時間をありがとう。それからサポートもありがとう。

Not too late

Not too late (遅すぎるなんてことはない)

いや、遅いよ・・・。
もう3時を過ぎてしまったもの

ノット トゥ レイト

いやいや、美容によろしくない。

でもたしかに Not too late

わたしたちはいつでも、スタートできる。
キレイごとじゃなく、心からそう思えばほとんどすべてのものは挑戦できると思う。
結果はどうあれ、チャレンジすることは許されてる。

010301.jpg

死ぬまでにしたいことってある?
そう聞かれて、真剣に考えてみたけど、何もないと答えた。

だって、絶対にやりたいことはやってきたもの。チャレンジしてきた。ひとりで旅をすることも、仕事をすることも、ほしいものを手にすることだって。やろうと思って出来ないことなんて一度もなかった。年齢も経験もまったく関係ない。いつも自分の頭で考えているもの。大切なものをおざなりになんてできない。ごまかしたりできない。

それはほんまちゃんが何も持っていないからだよ、と。自由だからだ、という人もいるけど。
でもそれは違うと思う。わたしはただ選んでいるだけ。不自由でいることを選ぶこともまたアリなんだもの。

どちらにせよ、すべて自分が選択した結果なのだ、と思うことにしてる。わたしの不幸はあくまでもわたしのものだ。誰かのせいじゃない。幸せもまたそう。でもそれが周りに伝染することはある。だからわたしは幸せでいなくちゃ。幸せでいられるように選択を繰り返す。これからもきっと。わたしにとっての最大の不幸は誰かの言うとおりにすること。自分の人生を誰かに支配されること。自分で選択しているかぎり、不幸にはならない。

正しいとか間違っているとか、知ってるとか知らないとか、幸せだとか不幸だとかっていう話じゃない。

これはすごく個人的で感情的なことだもの。ほんまちゃんに関してだけのこと。

わたしは今年も自分が自分らしくいられるためにたくさん悩んで、考えて選択をしていく。
自分に出来るのはそのくらいだもの。

ノット トゥ レイト

わがままで、気ままでいたずら好きなほんまちゃんを今年もよろしく。うへへ。

Not too late

Not too late (遅すぎるなんてことはない)

いや、遅いよ・・・。
もう3時を過ぎてしまったもの

ノット トゥ レイト

いやいや、美容によろしくない。

でもたしかに Not too late

わたしたちはいつでも、スタートできる。
キレイごとじゃなく、心からそう思えばほとんどすべてのものは挑戦できると思う。
結果はどうあれ、チャレンジすることは許されてる。

010301.jpg

死ぬまでにしたいことってある?
そう聞かれて、真剣に考えてみたけど、何もないと答えた。

だって、絶対にやりたいことはやってきたもの。チャレンジしてきた。ひとりで旅をすることも、仕事をすることも、ほしいものを手にすることだって。やろうと思って出来ないことなんて一度もなかった。年齢も経験もまったく関係ない。いつも自分の頭で考えているもの。大切なものをおざなりになんてできない。ごまかしたりできない。

それはほんまちゃんが何も持っていないからだよ、と。自由だからだ、という人もいるけど。
でもそれは違うと思う。わたしはただ選んでいるだけ。不自由でいることを選ぶこともまたアリなんだもの。

どちらにせよ、すべて自分が選択した結果なのだ、と思うことにしてる。わたしの不幸はあくまでもわたしのものだ。誰かのせいじゃない。幸せもまたそう。でもそれが周りに伝染することはある。だからわたしは幸せでいなくちゃ。幸せでいられるように選択を繰り返す。これからもきっと。わたしにとっての最大の不幸は誰かの言うとおりにすること。自分の人生を誰かに支配されること。自分で選択しているかぎり、不幸にはならない。

正しいとか間違っているとか、知ってるとか知らないとか、幸せだとか不幸だとかっていう話じゃない。

これはすごく個人的で感情的なことだもの。ほんまちゃんに関してだけのこと。

わたしは今年も自分が自分らしくいられるためにたくさん悩んで、考えて選択をしていく。
自分に出来るのはそのくらいだもの。

ノット トゥ レイト

わがままで、気ままでいたずら好きなほんまちゃんを今年もよろしく。うへへ。

カンカクノヒト

わたしにはフツウがよく分からない。
いつも自分はあくまでも普通だと思っているんだけど、ヒトからはよく笑って否定されてしまう。

そのたびに「じゃあ、普通ってナンなのよ、いってみてよぉぉぅ」と絡んでいる。
でも的確な、ほんまちゃんが納得するような答えは誰もくれなくて、だからわたしは今でも自分のことを普通だと思っている。

1122_02.jpg

後は自分のカンカクを第一優先にしてるの。理由とかじゃなくて「カン」ね。理由は説明できないことばかりなんだけど、でもそのカンカクをわたしは最も信じてる。何かを判断したり、感じたりする時にはこのカンカクがほんまちゃんを作ってるのだ。何かを買うときもそう、自分の将来を決めるのも、仕事でも、友人でもそう。
根拠なんてまったくなくても、自分のカンがそういってるから、という理由はかなり多い。というか、ほとんどそれなのだ。ハハハ。根拠のない自信ってやつがウリですが何か?

人間って本当に不思議。たぶん、ヒトって生き物はそんなには大きく違わないと思う。無名も有名も。どんなに自分が憧れているヒトだって、嫌いな人だって、うーんと年上だって、赤ちゃんだって、実はちょっとしか変わらないんじゃないかって思う。

変わるのは修飾語、その人を取り巻く修飾語なのだ。
だからわたしはどんなに有名な人に出逢っても物怖じしない。どこに行っても物怖じしない自分でいたいと思って、自分自身をそういう風に作り上げてきたから。ただし、ものすごく憧れているヒトとかだと緊張してしまうんだけど。(笑)これだけはムリ。

パッケージだけが大きくならないように、またみすぼらしくならないように、中身とパッケージがぴったりと寄り添うような自分が理想だ。
今の自分となりたい自分と、ちょっとした調整を楽しんでいる。それでもたまにそれに苦しさを覚えるんだけど、ね。苦しむことは大歓迎。悩むってことはまだまだ成長できるってこと。新しいことをやっているというしるし。

そのちょっとした差が大きい。
ちょっとしたことに気がついて、行動できるか。気がついたことをやるべきことだと信じられるか。
そういうことなんだと思う。

わたしは話すことがすごく苦手なの。表現することが苦手。
頭の中でよーーく考えて出したものでないとうすっぺらい言葉になってしまって、自分の本当の気持ちが伝わらない気がしてしまう。
あとは自分の頭の中にある気持ちにぴったりの言葉がないの。だから話をするときはうまく話せない。
うまくできたなぁと思うことは熟考してようやく搾り出した結果なのだ。

だだだだーー、と一気にまくし立てられるのって苦手。うまく返事を取り繕うことができない。
そしてウソは嫌い。というよりウソがつけないタイプだから困る。ということでウソはつかないことに決めている。可能な限り。

こうしてブログにいろんなことを書き続けているのも、わたしの性格に合っているからなんじゃないかな。
文章なら何度も何度も考えて、しかも違うと思ったら書き直せる。
試行錯誤してやっと一人前なほんまちゃんです。ニヒヒ。

カンカクノヒト

わたしにはフツウがよく分からない。
いつも自分はあくまでも普通だと思っているんだけど、ヒトからはよく笑って否定されてしまう。

そのたびに「じゃあ、普通ってナンなのよ、いってみてよぉぉぅ」と絡んでいる。
でも的確な、ほんまちゃんが納得するような答えは誰もくれなくて、だからわたしは今でも自分のことを普通だと思っている。

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後は自分のカンカクを第一優先にしてるの。理由とかじゃなくて「カン」ね。理由は説明できないことばかりなんだけど、でもそのカンカクをわたしは最も信じてる。何かを判断したり、感じたりする時にはこのカンカクがほんまちゃんを作ってるのだ。何かを買うときもそう、自分の将来を決めるのも、仕事でも、友人でもそう。
根拠なんてまったくなくても、自分のカンがそういってるから、という理由はかなり多い。というか、ほとんどそれなのだ。ハハハ。根拠のない自信ってやつがウリですが何か?

人間って本当に不思議。たぶん、ヒトって生き物はそんなには大きく違わないと思う。無名も有名も。どんなに自分が憧れているヒトだって、嫌いな人だって、うーんと年上だって、赤ちゃんだって、実はちょっとしか変わらないんじゃないかって思う。

変わるのは修飾語、その人を取り巻く修飾語なのだ。
だからわたしはどんなに有名な人に出逢っても物怖じしない。どこに行っても物怖じしない自分でいたいと思って、自分自身をそういう風に作り上げてきたから。ただし、ものすごく憧れているヒトとかだと緊張してしまうんだけど。(笑)これだけはムリ。

パッケージだけが大きくならないように、またみすぼらしくならないように、中身とパッケージがぴったりと寄り添うような自分が理想だ。
今の自分となりたい自分と、ちょっとした調整を楽しんでいる。それでもたまにそれに苦しさを覚えるんだけど、ね。苦しむことは大歓迎。悩むってことはまだまだ成長できるってこと。新しいことをやっているというしるし。

そのちょっとした差が大きい。
ちょっとしたことに気がついて、行動できるか。気がついたことをやるべきことだと信じられるか。
そういうことなんだと思う。

わたしは話すことがすごく苦手なの。表現することが苦手。
頭の中でよーーく考えて出したものでないとうすっぺらい言葉になってしまって、自分の本当の気持ちが伝わらない気がしてしまう。
あとは自分の頭の中にある気持ちにぴったりの言葉がないの。だから話をするときはうまく話せない。
うまくできたなぁと思うことは熟考してようやく搾り出した結果なのだ。

だだだだーー、と一気にまくし立てられるのって苦手。うまく返事を取り繕うことができない。
そしてウソは嫌い。というよりウソがつけないタイプだから困る。ということでウソはつかないことに決めている。可能な限り。

こうしてブログにいろんなことを書き続けているのも、わたしの性格に合っているからなんじゃないかな。
文章なら何度も何度も考えて、しかも違うと思ったら書き直せる。
試行錯誤してやっと一人前なほんまちゃんです。ニヒヒ。

自分の中のずるさと好奇心

いつも、新しい発見があるなぁと思う。

どんなに疲れていても、どんなに浮き足立っていたとしても、たぶん同じように学ぶことはある、と思う。
ただし、毎日をそんな風に感じられないのはそのときの気分や感受性によるものなのかもしれない、と。

わたしは見た目よりもずーとタフだと思う。
タフでなければ生きてはいけない。弱さを武器に戦うことは簡単だけれど、それはしたくない、と思う。
たぶんそれは、自分が弱いことを知っているからかな。だからタフになれる。

いろんなことが見えると、きっと苦しい立場に立たされる。
でもその苦しさが自分を支えて、成長させてくれると心からそう思う。

だからそのことをわざわざ教えてあげる必要もないか、と。少しだけ意地悪な私もいる。言った所で伝わらないことだってあるのだ。経験しなきゃわかんないことはたくさんあるもの。

いつも自分の利益で生きている人が世の中のほとんどを占めていようとも、自分はそんな風になってはいけない、と思う。もちろん、自分の価値基準はあっていいのだけど、それが全てになるのは怖いことだと思う。周りが見えなくなることは。自己中心的に、イイワケを繰り返していると、それが当たり前になって、つまらない自分になってしまう・・・という危機感があって、それが実は一番怖い。

わたしの生き方は全然スマートじゃない。いつも試行錯誤の繰り返しで、うんざりする。もっと楽して生きていけばいいじゃないの、と人は言うかもしれない。

いや、18の時からずーと、言われ続けてきた。もっと前からかな。(笑)わたしの周りの人は本当に親身になってアドバイスをしてくれる。そういう人がわたしは好きだし、実際そんな人ばかりなのだ。だから感謝をしてもしきれない。皆が口を揃えて言うことはきまっている。「もっとずるがしこく生きることも出来るのに・・・」と。いや、むしろそうすべきだ、と。若さと美しさを最大限に利用すべきだと。

でも私自身がそれを許さない。許したくない。最大限に利用すべきは自分の能力でありたい。若さや美しさはオプションじゃなきゃだめなのだ。誠実であることが自分の核だと思うから。素直さは失いたくない。器用になんてならなくていい。不器用でいいの、といつも反論ばかりしてる。でももちろん自分の持っているものすべてで挑戦するけど。

ひとつのウソがたくさんのウソと結びつくように、ひとつの妥協がたくさんの妥協と結びつくのだと思う。
そして少しずつ何かをあきらめていくことが当たり前になる。

誰かに頼って、自分の頭で考えなくてもいいというのはとても不安で恐ろしい。そしてそんな自分はありえない、という結論にたどりつく。

それでもって、じゃあ自分じゃない人はどう考えるだろう、と相手の立場で物事を考えるようになる。ここ数年は自分以外の人がどんな風に物事を捕らえているのかが知りたくて、人と出逢い、食事をしながらいろんな考えや立場を勉強しているのだ。それが楽しくて仕方がない。

知りたいと思うことはただ知るための努力をするだけ。
結局は人がすべての価値を作り上げる。だとしたら人について知っていることこそが最も価値があるのではないか、というのが今のほんまちゃんの答えになっている。誰かの気持ちが分かること。人間力があること。感じる力があること。究極はそうなる。

そんな風にシンプルに生きてゆく、ともう決めている自分がいる。

そしてそうすることが自分にとっての幸せだと分かってしまっているのかも。

自分の中のずるさと好奇心

いつも、新しい発見があるなぁと思う。

どんなに疲れていても、どんなに浮き足立っていたとしても、たぶん同じように学ぶことはある、と思う。
ただし、毎日をそんな風に感じられないのはそのときの気分や感受性によるものなのかもしれない、と。

わたしは見た目よりもずーとタフだと思う。
タフでなければ生きてはいけない。弱さを武器に戦うことは簡単だけれど、それはしたくない、と思う。
たぶんそれは、自分が弱いことを知っているからかな。だからタフになれる。

いろんなことが見えると、きっと苦しい立場に立たされる。
でもその苦しさが自分を支えて、成長させてくれると心からそう思う。

だからそのことをわざわざ教えてあげる必要もないか、と。少しだけ意地悪な私もいる。言った所で伝わらないことだってあるのだ。経験しなきゃわかんないことはたくさんあるもの。

いつも自分の利益で生きている人が世の中のほとんどを占めていようとも、自分はそんな風になってはいけない、と思う。もちろん、自分の価値基準はあっていいのだけど、それが全てになるのは怖いことだと思う。周りが見えなくなることは。自己中心的に、イイワケを繰り返していると、それが当たり前になって、つまらない自分になってしまう・・・という危機感があって、それが実は一番怖い。

わたしの生き方は全然スマートじゃない。いつも試行錯誤の繰り返しで、うんざりする。もっと楽して生きていけばいいじゃないの、と人は言うかもしれない。

いや、18の時からずーと、言われ続けてきた。もっと前からかな。(笑)わたしの周りの人は本当に親身になってアドバイスをしてくれる。そういう人がわたしは好きだし、実際そんな人ばかりなのだ。だから感謝をしてもしきれない。皆が口を揃えて言うことはきまっている。「もっとずるがしこく生きることも出来るのに・・・」と。いや、むしろそうすべきだ、と。若さと美しさを最大限に利用すべきだと。

でも私自身がそれを許さない。許したくない。最大限に利用すべきは自分の能力でありたい。若さや美しさはオプションじゃなきゃだめなのだ。誠実であることが自分の核だと思うから。素直さは失いたくない。器用になんてならなくていい。不器用でいいの、といつも反論ばかりしてる。でももちろん自分の持っているものすべてで挑戦するけど。

ひとつのウソがたくさんのウソと結びつくように、ひとつの妥協がたくさんの妥協と結びつくのだと思う。
そして少しずつ何かをあきらめていくことが当たり前になる。

誰かに頼って、自分の頭で考えなくてもいいというのはとても不安で恐ろしい。そしてそんな自分はありえない、という結論にたどりつく。

それでもって、じゃあ自分じゃない人はどう考えるだろう、と相手の立場で物事を考えるようになる。ここ数年は自分以外の人がどんな風に物事を捕らえているのかが知りたくて、人と出逢い、食事をしながらいろんな考えや立場を勉強しているのだ。それが楽しくて仕方がない。

知りたいと思うことはただ知るための努力をするだけ。
結局は人がすべての価値を作り上げる。だとしたら人について知っていることこそが最も価値があるのではないか、というのが今のほんまちゃんの答えになっている。誰かの気持ちが分かること。人間力があること。感じる力があること。究極はそうなる。

そんな風にシンプルに生きてゆく、ともう決めている自分がいる。

そしてそうすることが自分にとっての幸せだと分かってしまっているのかも。

そのとき感じることを

今日は暖かくて、キラキラしている太陽がとっても気持ちがいい。
久しぶりに洗車したり、洗濯したり。おふとんを干したり。

台風がつれてきたごほうび、かな。

わたしはこれからどんどん変わっていくと思うのだけど、きちんとそのときそのときに感じたことを忘れないでいたい。
感じることや思うことや考え方は変化するだろうけど、そのつど真剣に考えて答えを出したことは絶対ムダにはならないと思うの。そして、そのときそのときに持った感覚を忘れないでいたい。
自分が10歳だった頃に何を考えていたか、20歳の時にどんな自分になりたいと思ったか。不安で悩んだりしたことはどんなことだったか。そういうことをきちんと持っていたい。

1029.jpg

誰に何を言われても、自分さえしっかりとしていれば大丈夫だとおもうから。
今までの経験が今のわたしをしっかりと支えてくれているんだもの。

過去の自分は変えられないけど、将来の自分はいくらでも変えられると思うの。
だから、今できる精一杯をしていたい。

すてきなものを集めたり、見たり、話したり。
いろんなものを知りたい。
そのためには自分のムリのない範囲で出来ることを続けていくしかない。
贅沢は日常でする。贅沢をスペシャルにしたくない。

本当のことを知らなければ、本当のことは分からないまま。
ステキなものを知らなければ、ステキなものは創れない。

わたしは自分にとっての価値があるものを探し続けたい。
誰かにとって、世間にとって大切なものでも、わたしにとって大切じゃないものは必要ない。

とにかく今は自分にとっていいと思えるものに囲まれて暮らしていきたいと思っているのだ。

だって、自分の人生は自分で決めるしかないんだもの。
いつも不平不満を口にしていたくない。そういうひとはきっと、自分で決めていないからそういえるんだと思う。自分で決めていたら、不満なんて言ってる場合じゃない。なんとかしないと。(笑)
誰かが決めてくれるのを待って、不平不満をいう人生なんて嫌!

いつもいいこと、ステキなものを探して、わくわくしながら生きていく方がずーとずーと魅力的なんだもの。
だからほんまちゃんは魅力的でいなければいけないのです。
じゃないとわたしも楽しくないもんね。ヒヒヒ。

そのとき感じることを

今日は暖かくて、キラキラしている太陽がとっても気持ちがいい。
久しぶりに洗車したり、洗濯したり。おふとんを干したり。

台風がつれてきたごほうび、かな。

わたしはこれからどんどん変わっていくと思うのだけど、きちんとそのときそのときに感じたことを忘れないでいたい。
感じることや思うことや考え方は変化するだろうけど、そのつど真剣に考えて答えを出したことは絶対ムダにはならないと思うの。そして、そのときそのときに持った感覚を忘れないでいたい。
自分が10歳だった頃に何を考えていたか、20歳の時にどんな自分になりたいと思ったか。不安で悩んだりしたことはどんなことだったか。そういうことをきちんと持っていたい。

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誰に何を言われても、自分さえしっかりとしていれば大丈夫だとおもうから。
今までの経験が今のわたしをしっかりと支えてくれているんだもの。

過去の自分は変えられないけど、将来の自分はいくらでも変えられると思うの。
だから、今できる精一杯をしていたい。

すてきなものを集めたり、見たり、話したり。
いろんなものを知りたい。
そのためには自分のムリのない範囲で出来ることを続けていくしかない。
贅沢は日常でする。贅沢をスペシャルにしたくない。

本当のことを知らなければ、本当のことは分からないまま。
ステキなものを知らなければ、ステキなものは創れない。

わたしは自分にとっての価値があるものを探し続けたい。
誰かにとって、世間にとって大切なものでも、わたしにとって大切じゃないものは必要ない。

とにかく今は自分にとっていいと思えるものに囲まれて暮らしていきたいと思っているのだ。

だって、自分の人生は自分で決めるしかないんだもの。
いつも不平不満を口にしていたくない。そういうひとはきっと、自分で決めていないからそういえるんだと思う。自分で決めていたら、不満なんて言ってる場合じゃない。なんとかしないと。(笑)
誰かが決めてくれるのを待って、不平不満をいう人生なんて嫌!

いつもいいこと、ステキなものを探して、わくわくしながら生きていく方がずーとずーと魅力的なんだもの。
だからほんまちゃんは魅力的でいなければいけないのです。
じゃないとわたしも楽しくないもんね。ヒヒヒ。

できることを

定期的に、自分自身に問いかけること。

わたしは

ヘンなプライドをもっていないか
勘違いをしていないか
嘘をついていないか
疲れていないか
できることをしているか
周りの人を大切にしているか
幸運であることを当たり前だと思っていないか

???

どうだろう・・・?
どうなのよ、ほんまちゃん、と思う。

0928.jpg

今日、いつも更新を楽しみにしているヨーコさんのブログでプラ子ちゃんのことを知った。

プラ子ちゃんはわたしと同じ歳のオンナノコ。
でも今はひとりで旅を続けながら、ボランティアしたり、世界を見たりしている。
きちんと、目の前の出来事を見てる。
そして自分の弱さや当たり前であったことがあたりまえじゃなかったんだってことを体験してる。
すごい。すごい勢いで成長しているんだろうなぁと思う。そしてブログに自分が見たそのままを表現しているように思う。

プラ子ちゃんは決して文章がうまいわけじゃない。でも、ものすごく伝わってくる。リアル感。

わたしも、こんなオンナノコがいるんだよーってことを伝えたくなったの。だってほら、このブログってフツウのオンナノコの生活研究がテーマだからね。

全ての人が彼女のようにならなくていいし、彼女がしていることを正しいことだとかそうでないとか、そういう判断はしたくない。する必要がない。

でも、わたしは知るべきだと思うの。知らない、気がつかないことは罪だと思う。
知ることが出来たのに、知らないでいることは罪だ。

ほんまちゃんはそう思う。

そもそも人生は不平等なの。平等なんてないの。だけど、もしも自分にできることがあれば、それをすればいい。
もしも、自分に人を助けるだけの力があればそれをすればいいし、そうでないなら、無理のない範囲で自分ができることをしていくことで少なくとも自分の人生は変えられると信じてる。

おいしいものを、ブランドのバッグを、快適な生活を捨てる必要はない。でもそのうちの少しだけの興味を知らない世界に向けられたら、それでいいんじゃないかしら。

わたしは神でもないし、完璧でもない。
ずるい自分、わがままな自分、理不尽なこと。何がよいことで何が悪いことか。なんてつまらないことにこだわっていたか、全てを認められればいいのに、と願う。

できることを

定期的に、自分自身に問いかけること。

わたしは

ヘンなプライドをもっていないか
勘違いをしていないか
嘘をついていないか
疲れていないか
できることをしているか
周りの人を大切にしているか
幸運であることを当たり前だと思っていないか

???

どうだろう・・・?
どうなのよ、ほんまちゃん、と思う。

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今日、いつも更新を楽しみにしているヨーコさんのブログでプラ子ちゃんのことを知った。

プラ子ちゃんはわたしと同じ歳のオンナノコ。
でも今はひとりで旅を続けながら、ボランティアしたり、世界を見たりしている。
きちんと、目の前の出来事を見てる。
そして自分の弱さや当たり前であったことがあたりまえじゃなかったんだってことを体験してる。
すごい。すごい勢いで成長しているんだろうなぁと思う。そしてブログに自分が見たそのままを表現しているように思う。

プラ子ちゃんは決して文章がうまいわけじゃない。でも、ものすごく伝わってくる。リアル感。

わたしも、こんなオンナノコがいるんだよーってことを伝えたくなったの。だってほら、このブログってフツウのオンナノコの生活研究がテーマだからね。

全ての人が彼女のようにならなくていいし、彼女がしていることを正しいことだとかそうでないとか、そういう判断はしたくない。する必要がない。

でも、わたしは知るべきだと思うの。知らない、気がつかないことは罪だと思う。
知ることが出来たのに、知らないでいることは罪だ。

ほんまちゃんはそう思う。

そもそも人生は不平等なの。平等なんてないの。だけど、もしも自分にできることがあれば、それをすればいい。
もしも、自分に人を助けるだけの力があればそれをすればいいし、そうでないなら、無理のない範囲で自分ができることをしていくことで少なくとも自分の人生は変えられると信じてる。

おいしいものを、ブランドのバッグを、快適な生活を捨てる必要はない。でもそのうちの少しだけの興味を知らない世界に向けられたら、それでいいんじゃないかしら。

わたしは神でもないし、完璧でもない。
ずるい自分、わがままな自分、理不尽なこと。何がよいことで何が悪いことか。なんてつまらないことにこだわっていたか、全てを認められればいいのに、と願う。

Make a Big Difference

これだけ成熟したマーケットにおいて、もはや目新しさを求めるのはなんだか違うような気がする。

というのが実は物心ついたときからのほんまちゃんのポリシーのひとつ。

新しい何かを創り出すことよりも、違いを見つけて、アピールできるように。
わかりやすく、シンプルで、しかしハッキリとした違う何かを示すことが出来なければ。
完璧でなくても、自分が出来る100パーを、いや80パーを出し続けたいと思うの。
それを続けることでしか成長できないから。それしか方法がみつからない。

断れないんじゃない、断らない。可能な限り断らない選択をしたい。
わたしはね、ちゃんとした約束は絶対守る。可能な限り、守っているつもり。本気で。だって信頼って小さなことの積み重ねだもの。相手を大切にして、自分を大切にするからこそ信じられるって思わない?

不安がないんじゃない。不安を知った上でそれと戦いたい。
ただ可愛いだけ?それじゃあ満足できない。
よく気がつく?そうじゃない、必死に努力しているだけ。全身で、自分の全てでいろんなことを感じ取ろうと努力するだけ。

もちろん完璧になんて出来ないし、いつもいつも自分の無知を突きつけられる。
だからといってあきらめない。

でも、強いんじゃない。強くなろうと必死にがんばるだけだ。

他人にも、自分にも誠実で、フェアであろうとするのはひどく疲れる。

時には批判され、時には賞賛される。
時には誤解され、時には理解される。

いつも試行錯誤の繰り返し。

でもそういう生き方が好き。

目の前の状況はすべて自分の選択の結果だと、そう心から思う。
プラスもマイナスも含めてしっかりと抱きしめないと。

どうしたらもっと魅力的な人間に、女性になれるかしら。

理論なんて全然好きじゃない。だから机の上でするお勉強は苦手。いつも経験からでしか深い理解が得られないのは、頭が悪いからかしら。
でももしそうだったとしても、わたしは絶対頭の悪い生き方を選択すると思う。

できることなら、この人と一緒にいたらなんだかもう少しがんばれそうだなぁ、なんて思ってもらえると理想的なんだけど。そしてわたしも同様にそういう人をみつけなきゃね。
あれ、ちょっとずうずうしかった?(笑)

なんだか今日は最近頭の中にいた思考がうまくまとまった感じがして、うれしい。

Make a Big Difference

これだけ成熟したマーケットにおいて、もはや目新しさを求めるのはなんだか違うような気がする。

というのが実は物心ついたときからのほんまちゃんのポリシーのひとつ。

新しい何かを創り出すことよりも、違いを見つけて、アピールできるように。
わかりやすく、シンプルで、しかしハッキリとした違う何かを示すことが出来なければ。
完璧でなくても、自分が出来る100パーを、いや80パーを出し続けたいと思うの。
それを続けることでしか成長できないから。それしか方法がみつからない。

断れないんじゃない、断らない。可能な限り断らない選択をしたい。
わたしはね、ちゃんとした約束は絶対守る。可能な限り、守っているつもり。本気で。だって信頼って小さなことの積み重ねだもの。相手を大切にして、自分を大切にするからこそ信じられるって思わない?

不安がないんじゃない。不安を知った上でそれと戦いたい。
ただ可愛いだけ?それじゃあ満足できない。
よく気がつく?そうじゃない、必死に努力しているだけ。全身で、自分の全てでいろんなことを感じ取ろうと努力するだけ。

もちろん完璧になんて出来ないし、いつもいつも自分の無知を突きつけられる。
だからといってあきらめない。

でも、強いんじゃない。強くなろうと必死にがんばるだけだ。

他人にも、自分にも誠実で、フェアであろうとするのはひどく疲れる。

時には批判され、時には賞賛される。
時には誤解され、時には理解される。

いつも試行錯誤の繰り返し。

でもそういう生き方が好き。

目の前の状況はすべて自分の選択の結果だと、そう心から思う。
プラスもマイナスも含めてしっかりと抱きしめないと。

どうしたらもっと魅力的な人間に、女性になれるかしら。

理論なんて全然好きじゃない。だから机の上でするお勉強は苦手。いつも経験からでしか深い理解が得られないのは、頭が悪いからかしら。
でももしそうだったとしても、わたしは絶対頭の悪い生き方を選択すると思う。

できることなら、この人と一緒にいたらなんだかもう少しがんばれそうだなぁ、なんて思ってもらえると理想的なんだけど。そしてわたしも同様にそういう人をみつけなきゃね。
あれ、ちょっとずうずうしかった?(笑)

なんだか今日は最近頭の中にいた思考がうまくまとまった感じがして、うれしい。

夏の宿題?

全ての事柄は起こるべくして起こっている。
幸福なことも、不幸だと思うことも。
だから人はきっと逢うべくして逢っていると思う。

私はそう思う。

東京で、日本で、外国で。どこでだって出逢いはある。きっとある。
出逢いがないなんてウソだと思う。
出逢う努力をしていないか、出逢っているのに気がついていないだけね、きっと。

どんな環境にいても、出逢う時は出逢うし、縁がなければ出逢ったとしても、そのままスルーしてしまう。

わたしはいつも、男性とか、女性とか、美しいとか、美しくないとか・・・それだけで判断しない。どんな声でどんなしぐさでどんな表情で話をするか。どこの国に生まれたとか、どんな環境で、どんな考え方で育ってきたか、自分を成長させてきたかを総合的に見たい。

そのどの項目も、ひとつのメソッドだけで観察することをやめないようにしてる。決め付けないように。そして、同時にそのどれもを重要視しない。そしてすべてのものは変化することを忘れないようにしてる。

それはたぶん、無意識で。カンカクで。
だからうまく言葉で表現はできない。でもきちんと感じ取る能力はあるような気がしてる。

そう信じるからこそ、毎日を生きられるのかも、と思う。

私自身もどんどん変化したいし、当然回りもその可能性を秘めていると思うの。

これからもステキな出逢いに感謝しつつ、運命ヲ信じていきたいと願う。
それが生きるってことじゃない?

だから、ステキな人をたくさん知っている、友達でいられるというのは、最高の財産だと思う。

夏の宿題?

全ての事柄は起こるべくして起こっている。
幸福なことも、不幸だと思うことも。
だから人はきっと逢うべくして逢っていると思う。

私はそう思う。

東京で、日本で、外国で。どこでだって出逢いはある。きっとある。
出逢いがないなんてウソだと思う。
出逢う努力をしていないか、出逢っているのに気がついていないだけね、きっと。

どんな環境にいても、出逢う時は出逢うし、縁がなければ出逢ったとしても、そのままスルーしてしまう。

わたしはいつも、男性とか、女性とか、美しいとか、美しくないとか・・・それだけで判断しない。どんな声でどんなしぐさでどんな表情で話をするか。どこの国に生まれたとか、どんな環境で、どんな考え方で育ってきたか、自分を成長させてきたかを総合的に見たい。

そのどの項目も、ひとつのメソッドだけで観察することをやめないようにしてる。決め付けないように。そして、同時にそのどれもを重要視しない。そしてすべてのものは変化することを忘れないようにしてる。

それはたぶん、無意識で。カンカクで。
だからうまく言葉で表現はできない。でもきちんと感じ取る能力はあるような気がしてる。

そう信じるからこそ、毎日を生きられるのかも、と思う。

私自身もどんどん変化したいし、当然回りもその可能性を秘めていると思うの。

これからもステキな出逢いに感謝しつつ、運命ヲ信じていきたいと願う。
それが生きるってことじゃない?

だから、ステキな人をたくさん知っている、友達でいられるというのは、最高の財産だと思う。

おとな分のこども

大人になるってことが実はまだ良くわからない。
結婚したり、子供を持ったとしてもきっと自分は大人だとは思わない気がする。

わたしはずーと、大人になるってことは強さを持つことだと思っていたのだけど、でも私のことを良く知る人は「ほんまちゃんは強い」とよく口にする。だとしたら、とっくにわたしは大人なんだと思う。

大人な子供だし、子供な大人なのかな。

今日、電車に乗りながらガタゴトガタゴト・・・なーんて音を聞きながらね、自分の貪欲さ、を感じてしまったの。私は常に自分を成長させたいし、新しい何かをほしいと思う。たぶん、一生どんなものを手にしたとしても、新しい自分を見つけたいと願うんじゃないかな、と。
それは、モノじゃなくて、目に見えないものね。

自分の力で、成し遂げることが好き。そして、自分の持っているものを生かして誰かを幸せにもしたい。できるならば、自分の周りに要る人はいつも幸せでいてほしいし、少しでもそのお手伝いができたらいいなぁ、と本当に純粋にそう思う。まっすぐに。

ほんまちゃんの周りの人がほんまちゃんにしてくれたみたいに。

わたしはちょっと変わっているかもしれないけれど、だったらその変わっていることを生かして、伸ばしていけばいいと思う。自分にしか出来ないことがいつか見つかるといいな。

信じることができないと頑張れないタイプなの。不信感があるものにはどうもうまく対応できない。信じるには知識をつけたり、経験したりしなきゃね。賢くならなきゃ。だからいろんなものから吸収して、進化し続けたい。
自分の能力を発揮できないの。ものすごい臆病だから。

これからのわたしは、どんな自分になるんだろう・・・。
10年後の自分はどうしているのかなぁ。実は密かな楽しみかも。むふふ。

ぬわーんてことを考えながら、マニュキュアとペディキュアを一新してました。最近の仕事は美容系なのでわりと派手なネイルもオーケー。私は特にアクセサリーとかジュエリーに興味ゼロなので、ネイルくらいはキラキラさせるのが定番になってます。
ネイルって意外とセンスとかクリエイティブさが要求されるのよね。わたしはこんな作業が嫌いではなくて、誰かにやらせるのはもったいない、とか思ってしまう。

というわけで、大人のひとりとして明日は選挙に行ってこようと思います。ぶっちゃけ、入れたいと思う人なんていないけど・・・。でもとりあえず、ね。

おとな分のこども

大人になるってことが実はまだ良くわからない。
結婚したり、子供を持ったとしてもきっと自分は大人だとは思わない気がする。

わたしはずーと、大人になるってことは強さを持つことだと思っていたのだけど、でも私のことを良く知る人は「ほんまちゃんは強い」とよく口にする。だとしたら、とっくにわたしは大人なんだと思う。

大人な子供だし、子供な大人なのかな。

今日、電車に乗りながらガタゴトガタゴト・・・なーんて音を聞きながらね、自分の貪欲さ、を感じてしまったの。私は常に自分を成長させたいし、新しい何かをほしいと思う。たぶん、一生どんなものを手にしたとしても、新しい自分を見つけたいと願うんじゃないかな、と。
それは、モノじゃなくて、目に見えないものね。

自分の力で、成し遂げることが好き。そして、自分の持っているものを生かして誰かを幸せにもしたい。できるならば、自分の周りに要る人はいつも幸せでいてほしいし、少しでもそのお手伝いができたらいいなぁ、と本当に純粋にそう思う。まっすぐに。

ほんまちゃんの周りの人がほんまちゃんにしてくれたみたいに。

わたしはちょっと変わっているかもしれないけれど、だったらその変わっていることを生かして、伸ばしていけばいいと思う。自分にしか出来ないことがいつか見つかるといいな。

信じることができないと頑張れないタイプなの。不信感があるものにはどうもうまく対応できない。信じるには知識をつけたり、経験したりしなきゃね。賢くならなきゃ。だからいろんなものから吸収して、進化し続けたい。
自分の能力を発揮できないの。ものすごい臆病だから。

これからのわたしは、どんな自分になるんだろう・・・。
10年後の自分はどうしているのかなぁ。実は密かな楽しみかも。むふふ。

ぬわーんてことを考えながら、マニュキュアとペディキュアを一新してました。最近の仕事は美容系なのでわりと派手なネイルもオーケー。私は特にアクセサリーとかジュエリーに興味ゼロなので、ネイルくらいはキラキラさせるのが定番になってます。
ネイルって意外とセンスとかクリエイティブさが要求されるのよね。わたしはこんな作業が嫌いではなくて、誰かにやらせるのはもったいない、とか思ってしまう。

というわけで、大人のひとりとして明日は選挙に行ってこようと思います。ぶっちゃけ、入れたいと思う人なんていないけど・・・。でもとりあえず、ね。

サザエさん症候群とは無縁。

ysl01.jpg

最近、アロマに本気で夢中なほんまちゃんです。
フラゴナールのピーチのキャンドルでしょ、ハーンのアロマオイルにエッセンスに、スクラブアグロナチュラのボディソープにボディクリーム。アロマセラピーアソシエイツのシャンプー、コンディショナーにソープ。

気がついたら、アロマに囲まれた生活をしてました。

大人?になると大判のハンカチとかネイルとか先端、こまごまとしたところから安らぎを得られるようになるのです。最近、ハンカチはマイブーム。ネイルはひさしぶりにアートもせず、シンプルに。

さてさて、今日はお仕事の日。大抵ニチヨウ日はお休みなんだけど、月に1度か2度は働いてます。というわけで、サザエさん症候群とは無縁な生活が続いてます(そもそもサザエさんみてないのでブルーになることもないわね、おほほ)。2連休ってことがほとんどないのです。でも休み前が2日あるんだけどね。うふふ。

今日は月に1-2回あるミーティングでヒルズクラブへ。いつも写真を撮ればよかったと電車に乗ってから気づくほんまちゃんです。あははー。ニチヨウ日ということもあるし、セールということもあってやっぱり混んでました。いいなーーーと横目で眺めつつ、仕事ですよ、あたいは。しくしくしく。

nail0722.jpg

新しいプロジェクトに関わり始めてもうすぐまる4ヶ月。やっとなんとかいろんなことがわかってきて、順調に回り始めた感じがする。毎日、イライラと疲れと希望と達成感があるけど、それはそれでOK!

いくつもの作業を平行して、隙間をコツコツと埋めていきつつ、よりよいものを作り出すのが仕事。決して几帳面な性格ではないから、すべてが完璧ってわけではないけど、大枠でまぁいいんじゃないって仕事が実は得意なのかなって感じている今日この頃。

と調子づいたことをいっているとすぐにしっぺ返しをくらうんですけどね。

ほんまちゃんは思うのですが、人って能力にはそんなに差がないと思うのね。でも、日々物事をどんな風に捉えるかで全然違ってくるのだと思う。自分で答えを探し出して、やってみる。そういう小さな差が1年後、3年後、10年後に大きな差になると思う。それから、お給料というのは能力のある人が沢山もらえるとは限らない。アピール、営業ができないと能力があってもダメだってことは最初に勤めたベンチャーで学んだこと。

受身でいるのはつまらないよ。全然ドキドキしない。チャレンジしていくのが面白い。ただ自分は安全な場所で誰かの足をひっぱったり、妬んだりしていることなんて無意味だなーってしみじみ思う。でもそういう人って意外といるんだけど。(笑)そういう意味でわたしは若い時から周りの人にひっぱりあげてもらったり、色々と教えてもらったり、話したり、感じたり、試行錯誤したりする機会に恵まれていたのだと思う。そんなことする必要一度もなかったもん。

ただ、自分の立場や経験はとことん利用する。それを生かしていく。条件は皆同じじゃない。でも、たとえどこからのスタートだったとしても、バランスを取ることができればうまく行くものだと思う。とはいえそれが難しくて、凹むこともあるんだけどね。

でも、あくまでも自分をコントロールするのは自分じゃなきゃ。大人になるために誰かにコントロールされたりしない。誰かから与えられるよりも自分でいろんなものを手に入れるほうがずーと楽しい。わくわくするんだもの。
・・・とこういうことをいうとまた「可愛くないオンナ」といわれそうだな。っていつも同じことばかりいってるわね、あたい。

いろんなアドバイスをしてくれる人がいてくれて、今の私を支えてくれているのだなぁと毎日感じる。いろんな環境の友人がいて、違う世界の話を聞いたり、意見交換したりするのは最高に楽しいの。

ほんまちゃんは能力的にはまだまだだけど、自分のポリシーでいろんなことを判断できるから、チャンスがあるかもしれないなぁって思う。自画自賛だけど、まだまだ成長できる余地があるかな。それをのばしていくことが楽しみなの。

人間として常に魅力のある人で、品性のあるひとでいることが永遠の目標です。不器用でも、損したっていいのだ。自分を信じたり、好きでい続けることのほうがずーと、ずーーーっと大切なことなんだもの。

というわけで、これからもがんばりますですよ。ウヒ。

サザエさん症候群とは無縁。

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最近、アロマに本気で夢中なほんまちゃんです。
フラゴナールのピーチのキャンドルでしょ、ハーンのアロマオイルにエッセンスに、スクラブアグロナチュラのボディソープにボディクリーム。アロマセラピーアソシエイツのシャンプー、コンディショナーにソープ。

気がついたら、アロマに囲まれた生活をしてました。

大人?になると大判のハンカチとかネイルとか先端、こまごまとしたところから安らぎを得られるようになるのです。最近、ハンカチはマイブーム。ネイルはひさしぶりにアートもせず、シンプルに。

さてさて、今日はお仕事の日。大抵ニチヨウ日はお休みなんだけど、月に1度か2度は働いてます。というわけで、サザエさん症候群とは無縁な生活が続いてます(そもそもサザエさんみてないのでブルーになることもないわね、おほほ)。2連休ってことがほとんどないのです。でも休み前が2日あるんだけどね。うふふ。

今日は月に1-2回あるミーティングでヒルズクラブへ。いつも写真を撮ればよかったと電車に乗ってから気づくほんまちゃんです。あははー。ニチヨウ日ということもあるし、セールということもあってやっぱり混んでました。いいなーーーと横目で眺めつつ、仕事ですよ、あたいは。しくしくしく。

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新しいプロジェクトに関わり始めてもうすぐまる4ヶ月。やっとなんとかいろんなことがわかってきて、順調に回り始めた感じがする。毎日、イライラと疲れと希望と達成感があるけど、それはそれでOK!

いくつもの作業を平行して、隙間をコツコツと埋めていきつつ、よりよいものを作り出すのが仕事。決して几帳面な性格ではないから、すべてが完璧ってわけではないけど、大枠でまぁいいんじゃないって仕事が実は得意なのかなって感じている今日この頃。

と調子づいたことをいっているとすぐにしっぺ返しをくらうんですけどね。

ほんまちゃんは思うのですが、人って能力にはそんなに差がないと思うのね。でも、日々物事をどんな風に捉えるかで全然違ってくるのだと思う。自分で答えを探し出して、やってみる。そういう小さな差が1年後、3年後、10年後に大きな差になると思う。それから、お給料というのは能力のある人が沢山もらえるとは限らない。アピール、営業ができないと能力があってもダメだってことは最初に勤めたベンチャーで学んだこと。

受身でいるのはつまらないよ。全然ドキドキしない。チャレンジしていくのが面白い。ただ自分は安全な場所で誰かの足をひっぱったり、妬んだりしていることなんて無意味だなーってしみじみ思う。でもそういう人って意外といるんだけど。(笑)そういう意味でわたしは若い時から周りの人にひっぱりあげてもらったり、色々と教えてもらったり、話したり、感じたり、試行錯誤したりする機会に恵まれていたのだと思う。そんなことする必要一度もなかったもん。

ただ、自分の立場や経験はとことん利用する。それを生かしていく。条件は皆同じじゃない。でも、たとえどこからのスタートだったとしても、バランスを取ることができればうまく行くものだと思う。とはいえそれが難しくて、凹むこともあるんだけどね。

でも、あくまでも自分をコントロールするのは自分じゃなきゃ。大人になるために誰かにコントロールされたりしない。誰かから与えられるよりも自分でいろんなものを手に入れるほうがずーと楽しい。わくわくするんだもの。
・・・とこういうことをいうとまた「可愛くないオンナ」といわれそうだな。っていつも同じことばかりいってるわね、あたい。

いろんなアドバイスをしてくれる人がいてくれて、今の私を支えてくれているのだなぁと毎日感じる。いろんな環境の友人がいて、違う世界の話を聞いたり、意見交換したりするのは最高に楽しいの。

ほんまちゃんは能力的にはまだまだだけど、自分のポリシーでいろんなことを判断できるから、チャンスがあるかもしれないなぁって思う。自画自賛だけど、まだまだ成長できる余地があるかな。それをのばしていくことが楽しみなの。

人間として常に魅力のある人で、品性のあるひとでいることが永遠の目標です。不器用でも、損したっていいのだ。自分を信じたり、好きでい続けることのほうがずーと、ずーーーっと大切なことなんだもの。

というわけで、これからもがんばりますですよ。ウヒ。

"趣味"がおもしろい!

shumi.jpg

趣味なんだから当たり前と思った皆さん、
ちっちっちっ、違いますぜ。

今日ふと思ったんだけど、「趣味」っていうカテゴリーって面白いなぁと。

たとえば、ドラマ「時効警察」では、
時効になった事件を趣味で捜査する。
本業、つまりお金をもらっているわけじゃないんで、やってもやらなくてもいいのよ。なのに、好きだからやっちゃうんですね、これが。

で、ここで重要なのが、実はそれは仕事の延長だったりするわけ。仕事なのー、趣味なのー、どっちなのー?という微妙な境界線なわけですよ、これ。

もちろん逆に趣味で広げたり深めた知識は実は仕事で使えるんじゃないのってツッコミはあるのだけど。
(人間、ムダなことはないってことですわーねぇー)

何がいいたいかと言うと・・・やってもやらなくてもいいという緩さが実はすごく大切なんじゃない?ということなのです。

わたしのようなダメ人間はやれっていわれるととたんにやる気を無くすタイプ。(でも仕事ならやるもん。)
でも実はまじめだから、やれって言われていないことを見つけ出してやっちゃうタイプなのよ。だからね、自分のことを「完全なる趣味体質」だなーっと思っちゃったわけなの。

それはね、まぁ、どうでもいいんだけど・・・
結局、最近つくづく思うのはなんだか東京って息苦しくない?細かいルールが沢山ありすぎている感じがする。
自分のポリシーでもないのになぜかルールらしきものを守っていたりしませんか。

たとえば、公園の芝生に入っちゃいけない・・・とか。電車で携帯で話しちゃいけないとか。(いいとはいってません、別に)人に迷惑かけちゃいけない、とか完璧じゃなくちゃいけないんじゃないか・・・みたいなことね。
嘘ついちゃいけないっていうのもあるか。

世の中の常識といわれていることって本当に常識なのかなぁと思うんだよね。みんながやっているんだから、やろう、みたいなのって"いわかん"がある。というか、疲れるんですけど。
わたしもやっているから、まわりもそうして!みたいなやつね。だけどそれって本当に社会を心地よくさせているのだろうか。

みんなね、それに疲れて癒しを求めている気がするのだ。そういう社会ではね、多くの人が狂ってしまうのではないかしら。病んでしまう。
本当はもっとね、「まぁ、いいか」ってことがないとダメだと思うの。思いつめちゃダメ。答えはひとつとは限らないっていつも自分自身に言い聞かせている言葉なのだ。

自分が偏った意見を人に言っているときにハッって気がつく。
やばい、わたし・・・偏った考え方してるよ、今!いま!イマ!
みたいにね。

だからね、実はTOKYOに一番必要なのは、「やってもやらなくてもいいけど好きだからやってしまう、趣味的緩さなのではないかしら」という答えになっちゃいました。アハ。

ほら、趣味ってやっぱり面白いよね?
好きだなぁって、楽しいなぁっていうのって大切じゃない?

ちなみにほんまちゃんの趣味はコレ、ブログですな。おほほ。

"趣味"がおもしろい!

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趣味なんだから当たり前と思った皆さん、
ちっちっちっ、違いますぜ。

今日ふと思ったんだけど、「趣味」っていうカテゴリーって面白いなぁと。

たとえば、ドラマ「時効警察」では、
時効になった事件を趣味で捜査する。
本業、つまりお金をもらっているわけじゃないんで、やってもやらなくてもいいのよ。なのに、好きだからやっちゃうんですね、これが。

で、ここで重要なのが、実はそれは仕事の延長だったりするわけ。仕事なのー、趣味なのー、どっちなのー?という微妙な境界線なわけですよ、これ。

もちろん逆に趣味で広げたり深めた知識は実は仕事で使えるんじゃないのってツッコミはあるのだけど。
(人間、ムダなことはないってことですわーねぇー)

何がいいたいかと言うと・・・やってもやらなくてもいいという緩さが実はすごく大切なんじゃない?ということなのです。

わたしのようなダメ人間はやれっていわれるととたんにやる気を無くすタイプ。(でも仕事ならやるもん。)
でも実はまじめだから、やれって言われていないことを見つけ出してやっちゃうタイプなのよ。だからね、自分のことを「完全なる趣味体質」だなーっと思っちゃったわけなの。

それはね、まぁ、どうでもいいんだけど・・・
結局、最近つくづく思うのはなんだか東京って息苦しくない?細かいルールが沢山ありすぎている感じがする。
自分のポリシーでもないのになぜかルールらしきものを守っていたりしませんか。

たとえば、公園の芝生に入っちゃいけない・・・とか。電車で携帯で話しちゃいけないとか。(いいとはいってません、別に)人に迷惑かけちゃいけない、とか完璧じゃなくちゃいけないんじゃないか・・・みたいなことね。
嘘ついちゃいけないっていうのもあるか。

世の中の常識といわれていることって本当に常識なのかなぁと思うんだよね。みんながやっているんだから、やろう、みたいなのって"いわかん"がある。というか、疲れるんですけど。
わたしもやっているから、まわりもそうして!みたいなやつね。だけどそれって本当に社会を心地よくさせているのだろうか。

みんなね、それに疲れて癒しを求めている気がするのだ。そういう社会ではね、多くの人が狂ってしまうのではないかしら。病んでしまう。
本当はもっとね、「まぁ、いいか」ってことがないとダメだと思うの。思いつめちゃダメ。答えはひとつとは限らないっていつも自分自身に言い聞かせている言葉なのだ。

自分が偏った意見を人に言っているときにハッって気がつく。
やばい、わたし・・・偏った考え方してるよ、今!いま!イマ!
みたいにね。

だからね、実はTOKYOに一番必要なのは、「やってもやらなくてもいいけど好きだからやってしまう、趣味的緩さなのではないかしら」という答えになっちゃいました。アハ。

ほら、趣味ってやっぱり面白いよね?
好きだなぁって、楽しいなぁっていうのって大切じゃない?

ちなみにほんまちゃんの趣味はコレ、ブログですな。おほほ。

いつも、何かに向かっていく時はドキドキする

いつも、何かに向かっていく時はドキドキする。
胸が押しつぶされそうになって、きちんとやれるか不安が頭をよぎる。

努力しても、もしかしたら報われないかもしれない・・・と思うこともある。

だけど、やっぱり努力以外はありえない。
どんなに不安でも、やらなければ何も得られない。
何かを得ようと思うならば、今あるものを手放してでもやらなければいけないのだといつも思うし、いままでもそうしてきたつもり。怖くて足がぷるぷる震えちゃうことだって何度もある。

世の中はある意味平等だし、不平等でもある。
考え方しだいでどんな風にも生きられるのかな。

誰に対しても、失敗したり、間違えたりすることには寛大でいたい。

だってわたしは全然完璧じゃないし、目指してすらいない。だけど、いつも改善の余地を探してベストを尽くせたらいいなーと思ってしまう。真剣に取り組んだことは、きちんと自分の身になるんじゃないかしら。うまく行くことも、いかないことも沢山あるけれど、それでもいつもポジティブにいたい。いいところを数えて、のばしていくことで幸せを増やしたい。

時間は限られているから、どうでもいいことはどうでもいいように対処しちゃえーー。優先順位は大切ね。

自分が大切しているものはとことんこだわって、努力して、手にしたいと思う。
ほんまちゃんなんて、本当にどうでもいいほとんどのことやモノに対してはひどいんだから。
えーー、そんなことも知らないの?ってことがよくある。素でオオボケをかましてますよ。あたい。

簡単に手に入れられるものは簡単になくなってしまうけど、努力して手にしたものは、なかなかなくならないし、なくなったとしても次回に活かせると思う。

もしも、ネガティブな考えに自分が支配されそうになったときは、自分だけが不幸だなんて考えないこと。そしてネガティブな方向に妄想を膨らませないこと。不安だと疑り深くなってしまうでしょ。そうじゃないことまで想像して悪く捉えてしまうことがあるから、事実だけを捉えるようにする。そうすると必要以上にネガティブにならないし、誤解も深くならないんじゃないかしら。

何より、自分が幸せでいられるんじゃないのかな。

というわけで、よくほんまちゃんって悩みとかなさそうだよねーとか、全てがうまく行ってるんでしょ、とかって感じの悪い発言をされるのですが、そんなわけないよー。

何もしないのに、幸福がゴロゴロなんてしてるわけないです。してたら教えて。こう見えてもそれなりに大変ですから・・・。でもそれも含めて楽しんではいるかもなぁ。

いつも、何かに向かっていく時はドキドキする

いつも、何かに向かっていく時はドキドキする。
胸が押しつぶされそうになって、きちんとやれるか不安が頭をよぎる。

努力しても、もしかしたら報われないかもしれない・・・と思うこともある。

だけど、やっぱり努力以外はありえない。
どんなに不安でも、やらなければ何も得られない。
何かを得ようと思うならば、今あるものを手放してでもやらなければいけないのだといつも思うし、いままでもそうしてきたつもり。怖くて足がぷるぷる震えちゃうことだって何度もある。

世の中はある意味平等だし、不平等でもある。
考え方しだいでどんな風にも生きられるのかな。

誰に対しても、失敗したり、間違えたりすることには寛大でいたい。

だってわたしは全然完璧じゃないし、目指してすらいない。だけど、いつも改善の余地を探してベストを尽くせたらいいなーと思ってしまう。真剣に取り組んだことは、きちんと自分の身になるんじゃないかしら。うまく行くことも、いかないことも沢山あるけれど、それでもいつもポジティブにいたい。いいところを数えて、のばしていくことで幸せを増やしたい。

時間は限られているから、どうでもいいことはどうでもいいように対処しちゃえーー。優先順位は大切ね。

自分が大切しているものはとことんこだわって、努力して、手にしたいと思う。
ほんまちゃんなんて、本当にどうでもいいほとんどのことやモノに対してはひどいんだから。
えーー、そんなことも知らないの?ってことがよくある。素でオオボケをかましてますよ。あたい。

簡単に手に入れられるものは簡単になくなってしまうけど、努力して手にしたものは、なかなかなくならないし、なくなったとしても次回に活かせると思う。

もしも、ネガティブな考えに自分が支配されそうになったときは、自分だけが不幸だなんて考えないこと。そしてネガティブな方向に妄想を膨らませないこと。不安だと疑り深くなってしまうでしょ。そうじゃないことまで想像して悪く捉えてしまうことがあるから、事実だけを捉えるようにする。そうすると必要以上にネガティブにならないし、誤解も深くならないんじゃないかしら。

何より、自分が幸せでいられるんじゃないのかな。

というわけで、よくほんまちゃんって悩みとかなさそうだよねーとか、全てがうまく行ってるんでしょ、とかって感じの悪い発言をされるのですが、そんなわけないよー。

何もしないのに、幸福がゴロゴロなんてしてるわけないです。してたら教えて。こう見えてもそれなりに大変ですから・・・。でもそれも含めて楽しんではいるかもなぁ。

ほんまちゃんの仕事

涙が出るほど感動することって最近ないなーと感じる今日この頃です。ステキな土曜日を過ごしている(と思われる)みなさん、こんばんは。

わたしね、今日しみじみ思ったんだけど、自分の仕事で誰かが幸せになっていると感じる時っていいなぁと思って。
自分がどんなに大変でも、それによって誰かを幸せにすることができているって感じたら苦労なんて吹っ飛んじゃうと思うのね。同じところにいても、人によって感じ方は違うけど、いつもきちんと「幸せ」を感じられる自分でいられたらいいなぁと。

ほんまちゃんの仕事は、きっと誰かを幸せにすることなんだって思うのだ。
それは自分自身も含めて。もちろん、自分だけじゃなくて。

だから、わたしはいつも相手の視点を忘れたくない。自分を客観的に観たり、主観的にみたりを繰り返しながらバランスをとれたらいいなぁと思ってる。
サービスを受けていても、お金を払っていても、相手のことをちゃんとみていたいって思うの。
だって、そういう気持ちって伝わるから。そうする方がわたしも居心地がいいし、楽しい。
お互いにとってハッピーだと思う。

もし自分が引くことでいい結果が得られるのであれば、わたしはいつでも引く。
謝るべきことは謝り、主張すべきところはきちんとする。
でも女性としてのよさは決して捨てないでいよう、と思う。やんわりとしたふんわりとした空気感、ものの言い方とかね。
うまく行くことばかりじゃないけど、うまく行った時はやったーー!って思う。
みんな同じだよね、そういうのは。ねっ?

nichi_dat.jpg
↑美容のために飲んでいるニチレイのアセロラ。実は赤くて小さいドリンクの方が効く気がしてます。最近肌の調子がいいのはアセロラのおかげかも。むふふ。そしてもうひとつは最近気に入っているハーゲンダッツのドルチェ。わたしは断然クレームブリュレ派。かなり意見が分かれているみたいだし、ブログにも書いている人が沢山いるねぇ。

お仕事をくれる会社や、仕事は自分のスポンサーなんだと思う。応援してくれる人。沢山のものを与えてくれること、もの。貰ったら、貰った分だけ・・・いやそれ以上のものを返したいって思うの。

たぶん、わたしは本当に沢山の人に支えられて、守られてきたから、これからものすごくいろんなものを返していかなきゃだなぁと思うの。だって、おかげでとても豊かでいられるんだもの。

ステキな人がまわりにいてくれることで、どんどんレベルアップしてるの。絶対ステキな人になれるな、って自信がある。影響を受けて生きていくのが人だから、わたしはどんどんいいものを吸収して、どんどんいいものを排出していくわ。Co2は排出しすぎたらチャージがかかるけど、いいものならどんどん排出しても許されるわよね?

インプットして、アウトプットして、自分が空っぽになったら新しいことができるようになるじゃない?それが面白い。変化していく自分が面白い。楽しい。わくわくする。ドキドキもね。

それを元に、自分をクリエイトしていく。
これが究極の遊びだなぁと。

人生を終えるまで永遠に続く遊び。

趣味「試行錯誤」・・・どうかなぁ。ふふふ。

楽で簡単でワリのいいことは実は将来がないと思う。
本気で取り組んでいたり、本気の気持ちってすぐ伝わると思う。疲れるけど、本気ってすごく好きなの。

だから実はほんまちゃんはいつも疲れているのかも。(笑)
でもそれは楽しいってことと同じだから、幸せなことなんだと思う。

・・・ほんまちゃんってやっぱりちょっとめんどくさい生き物だわ。とほほ。

ほんまちゃんの仕事

涙が出るほど感動することって最近ないなーと感じる今日この頃です。ステキな土曜日を過ごしている(と思われる)みなさん、こんばんは。

わたしね、今日しみじみ思ったんだけど、自分の仕事で誰かが幸せになっていると感じる時っていいなぁと思って。
自分がどんなに大変でも、それによって誰かを幸せにすることができているって感じたら苦労なんて吹っ飛んじゃうと思うのね。同じところにいても、人によって感じ方は違うけど、いつもきちんと「幸せ」を感じられる自分でいられたらいいなぁと。

ほんまちゃんの仕事は、きっと誰かを幸せにすることなんだって思うのだ。
それは自分自身も含めて。もちろん、自分だけじゃなくて。

だから、わたしはいつも相手の視点を忘れたくない。自分を客観的に観たり、主観的にみたりを繰り返しながらバランスをとれたらいいなぁと思ってる。
サービスを受けていても、お金を払っていても、相手のことをちゃんとみていたいって思うの。
だって、そういう気持ちって伝わるから。そうする方がわたしも居心地がいいし、楽しい。
お互いにとってハッピーだと思う。

もし自分が引くことでいい結果が得られるのであれば、わたしはいつでも引く。
謝るべきことは謝り、主張すべきところはきちんとする。
でも女性としてのよさは決して捨てないでいよう、と思う。やんわりとしたふんわりとした空気感、ものの言い方とかね。
うまく行くことばかりじゃないけど、うまく行った時はやったーー!って思う。
みんな同じだよね、そういうのは。ねっ?

nichi_dat.jpg
↑美容のために飲んでいるニチレイのアセロラ。実は赤くて小さいドリンクの方が効く気がしてます。最近肌の調子がいいのはアセロラのおかげかも。むふふ。そしてもうひとつは最近気に入っているハーゲンダッツのドルチェ。わたしは断然クレームブリュレ派。かなり意見が分かれているみたいだし、ブログにも書いている人が沢山いるねぇ。

お仕事をくれる会社や、仕事は自分のスポンサーなんだと思う。応援してくれる人。沢山のものを与えてくれること、もの。貰ったら、貰った分だけ・・・いやそれ以上のものを返したいって思うの。

たぶん、わたしは本当に沢山の人に支えられて、守られてきたから、これからものすごくいろんなものを返していかなきゃだなぁと思うの。だって、おかげでとても豊かでいられるんだもの。

ステキな人がまわりにいてくれることで、どんどんレベルアップしてるの。絶対ステキな人になれるな、って自信がある。影響を受けて生きていくのが人だから、わたしはどんどんいいものを吸収して、どんどんいいものを排出していくわ。Co2は排出しすぎたらチャージがかかるけど、いいものならどんどん排出しても許されるわよね?

インプットして、アウトプットして、自分が空っぽになったら新しいことができるようになるじゃない?それが面白い。変化していく自分が面白い。楽しい。わくわくする。ドキドキもね。

それを元に、自分をクリエイトしていく。
これが究極の遊びだなぁと。

人生を終えるまで永遠に続く遊び。

趣味「試行錯誤」・・・どうかなぁ。ふふふ。

楽で簡単でワリのいいことは実は将来がないと思う。
本気で取り組んでいたり、本気の気持ちってすぐ伝わると思う。疲れるけど、本気ってすごく好きなの。

だから実はほんまちゃんはいつも疲れているのかも。(笑)
でもそれは楽しいってことと同じだから、幸せなことなんだと思う。

・・・ほんまちゃんってやっぱりちょっとめんどくさい生き物だわ。とほほ。

恋するホンマニア

0430_03.jpg

ある日、ぽっかりと時間が空くと、どうしたらホンマニアを魅力的に見せることができるかを考えてみる。

わたしはいつも、このブログに人格を、キャラクターを与えてあげたいと思う。
それはほんまちゃんとは別のものだし、そうだな、きっともうひとりの自分の分身を作るってことなのかも。

このブログを見てくれる人ってどんな人だろう?どんな時にみるだろう・・・と、想像してみる。


○仕事で疲れきった夜に。

○なんとなく清清しい一日のはじまりに。

○おやつのミルクティーとクッキーとともに。

○なんとなく、たどり着いた時に。


これを見たらちょっと元気が出たり、自分以外のふつうな毎日を観察できたら楽しいんじゃないか、と書き始めた。自分がみたいものを書いてみよう。その気持ちがスタートなのだ。
ちょっとした知り合いが「あれっ、ほんまちゃん今なにしてるんだろう?」的な感じで覗けるところね。

みてくれる人はどんなシチュエーションにあって、こんな記事をよんだらどう思うんだろうとか。
とにかくそんなもわわーんとしたことを考えてみる。
そして今度は何も考えないで記事を書いてみたりする。

そういう試行錯誤がとにかく楽しい。
思い付きをどんどん試せる。
わくわくする。ドキドキする。自由だーと感じる。

自分の中の強さも弱さも、まじめなところも不良なところも。
その全てを、ひとりの人間の複雑で単純なところを描き出せたらいいのに。

ほんまちゃんが狙っているのは、いつもちょっとした悪巧みをもっている女性。
まじめだけじゃつまんないし、綺麗なだけじゃだめ。
たぶん恋してるときみたいに、ふわふわしたり、ドキドキしたり、ちぇって思ったり。
すごく沢山の感情を生み出すときって楽しいじゃない?そういうのを表現したい。
いつもいつもいつも。

ちいさなサプライズをいっぱい持っていたい。

難しいことはよくわかんないけど、たぶんそれがブランディングなんだと思う。
ホンマニアというブランド。
どんどん変化して、なんだか目が離せないっていう存在。
でも全然特別じゃない。
ただ、まっすぐに前を向いてチャレンジしているだけ。
誤解されてもいい。間違えたっていい。
でも常に前向きで、成長し続ける。本当に自分にとって大切なものを知っている。世の中に流されない。

そういう人にしたい。
ホンマニアはそういう人になれたらいいな。

よくわかんないんだけど気になる、みたいな。
全部はまだ教えてあげないよーん、的な感じね。うふふ。

恋するホンマニア

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ある日、ぽっかりと時間が空くと、どうしたらホンマニアを魅力的に見せることができるかを考えてみる。

わたしはいつも、このブログに人格を、キャラクターを与えてあげたいと思う。
それはほんまちゃんとは別のものだし、そうだな、きっともうひとりの自分の分身を作るってことなのかも。

このブログを見てくれる人ってどんな人だろう?どんな時にみるだろう・・・と、想像してみる。


○仕事で疲れきった夜に。

○なんとなく清清しい一日のはじまりに。

○おやつのミルクティーとクッキーとともに。

○なんとなく、たどり着いた時に。


これを見たらちょっと元気が出たり、自分以外のふつうな毎日を観察できたら楽しいんじゃないか、と書き始めた。自分がみたいものを書いてみよう。その気持ちがスタートなのだ。
ちょっとした知り合いが「あれっ、ほんまちゃん今なにしてるんだろう?」的な感じで覗けるところね。

みてくれる人はどんなシチュエーションにあって、こんな記事をよんだらどう思うんだろうとか。
とにかくそんなもわわーんとしたことを考えてみる。
そして今度は何も考えないで記事を書いてみたりする。

そういう試行錯誤がとにかく楽しい。
思い付きをどんどん試せる。
わくわくする。ドキドキする。自由だーと感じる。

自分の中の強さも弱さも、まじめなところも不良なところも。
その全てを、ひとりの人間の複雑で単純なところを描き出せたらいいのに。

ほんまちゃんが狙っているのは、いつもちょっとした悪巧みをもっている女性。
まじめだけじゃつまんないし、綺麗なだけじゃだめ。
たぶん恋してるときみたいに、ふわふわしたり、ドキドキしたり、ちぇって思ったり。
すごく沢山の感情を生み出すときって楽しいじゃない?そういうのを表現したい。
いつもいつもいつも。

ちいさなサプライズをいっぱい持っていたい。

難しいことはよくわかんないけど、たぶんそれがブランディングなんだと思う。
ホンマニアというブランド。
どんどん変化して、なんだか目が離せないっていう存在。
でも全然特別じゃない。
ただ、まっすぐに前を向いてチャレンジしているだけ。
誤解されてもいい。間違えたっていい。
でも常に前向きで、成長し続ける。本当に自分にとって大切なものを知っている。世の中に流されない。

そういう人にしたい。
ホンマニアはそういう人になれたらいいな。

よくわかんないんだけど気になる、みたいな。
全部はまだ教えてあげないよーん、的な感じね。うふふ。

ふつうのオンナノコという位置

ふつうのオンナノコという地位はとても気に入っている。
何をしていてもほんまちゃんだし、それは昔も今も全然変わらないことのひとつ。

年を重ねても、経験を重ねても、わたしはいつもふつうのオンナノコなのだ。
だからキャンディーズみたいに「ふつうのオンナノコに戻る」必要もないし、いつもそのまま。
大勢の中のひとりでもあるし、唯一無二のほんまちゃんでもある。そんなバランスが心地いい。

でもほんとは、ふつうってよくわかんない。
でももっと、ほんまちゃんがよく分からない。

というわけで「ほんまちゃんって不思議だね」といわれるとそれも当然だわ、と思う。
自分でもわからないのに、誰かがわかるはずなんてない。
でもわからないってことはワクワクすること。
どんな風にでも変化できるから、楽しい。そういうときが実はいちばん好き。

わたしはいつも、わからないことを探しているし、いつもわからない何かにチャレンジしている。
そういう生き方なのだ。エンドレスリピート。でも全部自分の身になる。
どんどんいいオンナになっていっちゃうな。ウヒヒヒヒ・・・。(笑)

期待されないのはつまらないし、期待されすぎても、疲れる。
なんてわがままなんだろう?と思うけど本当のこと。

ほんまちゃんフィルターを通して、ちょっぴりユニークな答えを目指すようにしている。

だけど、いつもしていることは同じ。
ひたむきに、自分がいいと思う方法で、一生懸命やる。
そして何事もフェアであること。
意味なんてないかもしれないけど、自分のためにそうしたいから、してる。

だからやっぱり「ふつうのオンナノコ」がとても居心地がいい。

というわけで、ほんまちゃんがめざすのはかなり魅力的な「ふつうのオンナノコ」。
ね?ちょっと楽しそうでしょう?

ふつうのオンナノコという位置

ふつうのオンナノコという地位はとても気に入っている。
何をしていてもほんまちゃんだし、それは昔も今も全然変わらないことのひとつ。

年を重ねても、経験を重ねても、わたしはいつもふつうのオンナノコなのだ。
だからキャンディーズみたいに「ふつうのオンナノコに戻る」必要もないし、いつもそのまま。
大勢の中のひとりでもあるし、唯一無二のほんまちゃんでもある。そんなバランスが心地いい。

でもほんとは、ふつうってよくわかんない。
でももっと、ほんまちゃんがよく分からない。

というわけで「ほんまちゃんって不思議だね」といわれるとそれも当然だわ、と思う。
自分でもわからないのに、誰かがわかるはずなんてない。
でもわからないってことはワクワクすること。
どんな風にでも変化できるから、楽しい。そういうときが実はいちばん好き。

わたしはいつも、わからないことを探しているし、いつもわからない何かにチャレンジしている。
そういう生き方なのだ。エンドレスリピート。でも全部自分の身になる。
どんどんいいオンナになっていっちゃうな。ウヒヒヒヒ・・・。(笑)

期待されないのはつまらないし、期待されすぎても、疲れる。
なんてわがままなんだろう?と思うけど本当のこと。

ほんまちゃんフィルターを通して、ちょっぴりユニークな答えを目指すようにしている。

だけど、いつもしていることは同じ。
ひたむきに、自分がいいと思う方法で、一生懸命やる。
そして何事もフェアであること。
意味なんてないかもしれないけど、自分のためにそうしたいから、してる。

だからやっぱり「ふつうのオンナノコ」がとても居心地がいい。

というわけで、ほんまちゃんがめざすのはかなり魅力的な「ふつうのオンナノコ」。
ね?ちょっと楽しそうでしょう?

センス

わたしは何か夢中になれるものを探しているのかもしれない。
仕事?愛する人?運命な何か?
それは何だろう?

最近つよく、強く、そう思うようになってきた。
わたしはそう思わない限り、何も手にすることができない性格なの。

でも決めたら早い。すぐに手を打つ。
いいと思ったら、とことんやる。
まっすぐ、自分にとっての本質を見抜きたいと思う。
好きだからやっているのでちっとも嫌じゃない。でもその代わり好きじゃないことは上手くできない。

だからこそ、本当に欲しいものだけを手にすることができるんじゃない?
ある人は言ってくれた。

ちょっぴり、嬉しかった。

いつもいいものだけをきちんと選んで、自分自身に与え続けていたいな。
だから手にしたものは、本当に本当に大切にする。

ここ数年でわかったこと。

センスというものが人間にとってものすごく大切であるということと、すばらしいモノを創るためには、すばらしい人格でなければならないということ。
そして学び続けていかなければいけない。今何を知っているかではなく、常に学習していくこと。ただ楽な方に流れていかないこと。

人は日々何を考えるかで変化する。
だから誰にでもチャンスがあると思う。

本当にすごいのは、そのものを長く持ち続けることができるかどうか、ではないかしら。

若いだけで、美しいだけで得をするのは短い時間だけ。
どれだけ長く美しくいられるか。
美しく歳を重ねることはとてつもなく大変なこと。

わたしは本当に幸運だと思う。自分でも認める。
すてきな人に恵まれて、チャンスも沢山手にしてきた。
普通ならできないような経験もしている。
実力なんてない。運だと思う。生まれながらにして強運である。

だけど、じゃあそれでいいんじゃない?ということはない。
どんな環境にいても、そこで自分は何ができるか、を考えていたい。
そしてベストを尽くす。

変化していく自分をコントロールしつつセンスを磨く。
そしてダメな自分を認める。
いらないものを捨てる。

今年はムダなものを捨てていこうと決めた。
正確に言うと欲しいものを選ぼう、と。
去年は選択肢を広げることを目指してたけど、今度は広げたものをぎゅうっと絞るつもり。

いつか自分だけのセンスを持って、小さくてもステキなホンマニアワールドを生み出したいと願う。

ひとりでも多くの人がそんな私の変化を感じられますように。
ステキな影響をプレゼントできたら嬉しいかな。

TOKYO

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今日、ふと大きなガラスの壁ごしに空を見上げると、恐ろしく綺麗な風景をみつけた。
雲の隙間から光がこぼれるのを、なんというのだったっけ?
とにかく、すごく綺麗で、感激してしまった。

TOKYOは本当に不思議な街だと思う。
世界中を旅してきたけれど、こんな風景はまずない。

隙間がないほどびっちりと建てられたビルたち。
まっすぐに伸びた道。

それがはるか遠くまで続いていて、とにかく美しい。

わたしの街だ、home townだ、と思う。

昨日気がついたのだけど、今わたしはTOKYOを旅しているんだ。それまでわたしにとってのTOKYOは住む場所で、旅をする場所ではなかった。生まれてからずーと、この街以外に暮らしたことがない私にとって、TOKYOは暮らす場所だったのだ、と。

なんだかそれが分かってから、楽しくて仕方がない。
道を歩いていてつい微笑んでしまう。

TOKYOを旅して1週間が過ぎた。

早速、こんなことが見つかったよ。

いいな、信じるってステキじゃない?

new_kei_c1.jpg
↑ケイタイのオニュゥカメラで撮った写真だよー。デビュゥ。

わたしは、信じるという言葉がとても好き。

自信のなさや不安から信じることができない時って誰にでもあると思う。だけど、本当にすごい人、強い人というのは信じることが出来る人。他人に対しても、自分に対しても。
そう簡単に出来ることじゃないし、難しい。こんなにシンプルなことなのにね。

もしも、信じた結果が裏切りだとしたら?

それでも信じることをやめて、自分の中にマイナスの要素を貯め続けるよりはいい。少なくとも自分自身にとってはね。信じることが最善の方法だと思うよ。

ヘンに大人ぶって格好つけたり、嘘ついたりしちゃダメ。
わたしはそう思ってる。そんなことしたって意味ない。

大切なのは自分がどうしたいか。結果であり、成長だと思う。自分が望む最高の結果を得るために努力すべきじゃないのかな。

誰かを妬んだり、うらんだりしても意味ない。
いらないものはきっぱりと捨てるべし。
そして深刻になりすぎず、ユーモアを持つのだ。ウヒヒ。

逆に言うと、信じ切れなかったものは自分には必要のないものなんだと思う。
簡単にあきらめられないこと、信じ切れるものこそが自分にふさわしいものってことじゃない?

失ったものを悔やむよりも、すでに得た何かを守るよりも、いつも前を向いて信じられるものを探し続けるのがステキだと思うから。

わたしは大切なものが全て手に入らなくてもいいんだよね。
それよりも大切な誰かやそのモノが幸せでいてくれたり、それにふさわしい場所にいたほうが幸せだと思う。失敗しても、成長した自分が残ればいんじゃないかな、と。

欲しいものを手に入れるためにヘンな駆け引きをしたりしない。もちろん計算はするけど、それは駆け引きのための計算じゃない。物事をうまく進めるための計算。

自分だけが得する計算なんてしない。
そんなの意味ない。一時的にはよかったとしても、全然いいことなんてないよ。

基本的にそう思っているのだ。どんなことに対しても。

わたしは大切なものがなかなか見つからないタイプだから、こう思うのかもしれないね。
こんなことばっかり言っているからダメなのかもしれない・・・。
だけど、自分が好きなものに対しては絶対妥協しない。これは自信がある。

今の自分を創っているのは、ヒットミーや大切な友達や家族や今までの彼や環境や自分の好きなものたちだったりするから。

それらを裏切りたくないの。期待に答えたい。
自分のことを信じて成長させてくれた人たちにちゃんとお返ししたい。何もできないかもしれないけど、何かしたい。いつも、いつも、いつも。

だから、もっとどんどん成長しなくちゃ。去年と今年と比べたら数倍くらいの勢いで成長してるよ。たぶん。(笑) 久しぶりに逢ったらびっくりした・・・と言われたいものだね。
そうすることで周りの人も幸せにできる気がするから。

誰かに影響を与えようなんて全然思っていないけど、死ぬまでにもしもそんな人がいてくれたらステキだなぁって。
自分も案外捨てたもんじゃなかったかも、なんて思えるかな。

何よりも、自分を信じたいんだと思う。
生まれてからずっと。

いいな、信じるってステキじゃない?

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↑ケイタイのオニュゥカメラで撮った写真だよー。デビュゥ。

わたしは、信じるという言葉がとても好き。

自信のなさや不安から信じることができない時って誰にでもあると思う。だけど、本当にすごい人、強い人というのは信じることが出来る人。他人に対しても、自分に対しても。
そう簡単に出来ることじゃないし、難しい。こんなにシンプルなことなのにね。

もしも、信じた結果が裏切りだとしたら?

それでも信じることをやめて、自分の中にマイナスの要素を貯め続けるよりはいい。少なくとも自分自身にとってはね。信じることが最善の方法だと思うよ。

ヘンに大人ぶって格好つけたり、嘘ついたりしちゃダメ。
わたしはそう思ってる。そんなことしたって意味ない。

大切なのは自分がどうしたいか。結果であり、成長だと思う。自分が望む最高の結果を得るために努力すべきじゃないのかな。

誰かを妬んだり、うらんだりしても意味ない。
いらないものはきっぱりと捨てるべし。
そして深刻になりすぎず、ユーモアを持つのだ。ウヒヒ。

逆に言うと、信じ切れなかったものは自分には必要のないものなんだと思う。
簡単にあきらめられないこと、信じ切れるものこそが自分にふさわしいものってことじゃない?

失ったものを悔やむよりも、すでに得た何かを守るよりも、いつも前を向いて信じられるものを探し続けるのがステキだと思うから。

わたしは大切なものが全て手に入らなくてもいいんだよね。
それよりも大切な誰かやそのモノが幸せでいてくれたり、それにふさわしい場所にいたほうが幸せだと思う。失敗しても、成長した自分が残ればいんじゃないかな、と。

欲しいものを手に入れるためにヘンな駆け引きをしたりしない。もちろん計算はするけど、それは駆け引きのための計算じゃない。物事をうまく進めるための計算。

自分だけが得する計算なんてしない。
そんなの意味ない。一時的にはよかったとしても、全然いいことなんてないよ。

基本的にそう思っているのだ。どんなことに対しても。

わたしは大切なものがなかなか見つからないタイプだから、こう思うのかもしれないね。
こんなことばっかり言っているからダメなのかもしれない・・・。
だけど、自分が好きなものに対しては絶対妥協しない。これは自信がある。

今の自分を創っているのは、ヒットミーや大切な友達や家族や今までの彼や環境や自分の好きなものたちだったりするから。

それらを裏切りたくないの。期待に答えたい。
自分のことを信じて成長させてくれた人たちにちゃんとお返ししたい。何もできないかもしれないけど、何かしたい。いつも、いつも、いつも。

だから、もっとどんどん成長しなくちゃ。去年と今年と比べたら数倍くらいの勢いで成長してるよ。たぶん。(笑) 久しぶりに逢ったらびっくりした・・・と言われたいものだね。
そうすることで周りの人も幸せにできる気がするから。

誰かに影響を与えようなんて全然思っていないけど、死ぬまでにもしもそんな人がいてくれたらステキだなぁって。
自分も案外捨てたもんじゃなかったかも、なんて思えるかな。

何よりも、自分を信じたいんだと思う。
生まれてからずっと。

2007年のスロォゥガン!

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↑生まれて初めて抽象画らしきものをつくってみた。ホンマニアのイメージで。というわけで、今年の年賀状はこんな感じです。同じではないけど、かなり近いです。

今年は信じることからはじめる。
もっともっと、自分自身を信じてみる。
可能性を信じてみる。
そしてただまっすぐに、迷いなく好きでやっていることです、と言える何かを見つけたい。
それは本当に幸せですごいことだと思うから。

他の誰かからみてすごくなくていいし、結果を求めて計算できるような人にならなくていいと思う。

今ちゃんと失敗したり、今ちゃんと迷ったり、悩んだりすることを大切にしてこれからの財産にしたいな。
誤解されても、苦しくなっても、逆にとても幸福だったとしても。
調子づいたりせず、謙虚に、まっすぐに。

とにかく、やってみる。
がんばろう、わたし。

2007年のスロォゥガン!

hny07.jpg
↑生まれて初めて抽象画らしきものをつくってみた。ホンマニアのイメージで。というわけで、今年の年賀状はこんな感じです。同じではないけど、かなり近いです。

今年は信じることからはじめる。
もっともっと、自分自身を信じてみる。
可能性を信じてみる。
そしてただまっすぐに、迷いなく好きでやっていることです、と言える何かを見つけたい。
それは本当に幸せですごいことだと思うから。

他の誰かからみてすごくなくていいし、結果を求めて計算できるような人にならなくていいと思う。

今ちゃんと失敗したり、今ちゃんと迷ったり、悩んだりすることを大切にしてこれからの財産にしたいな。
誤解されても、苦しくなっても、逆にとても幸福だったとしても。
調子づいたりせず、謙虚に、まっすぐに。

とにかく、やってみる。
がんばろう、わたし。

すてきな人でいること

気がつけば、12月も折り返してました。はやいよーー。
マイペース、マイペース、ヤッホーッヤッホー♪!

いつもいつも、そのままの自分でいることが大切だと思う。
楽しむこと、自分にとって心地いいことを常にしていたい。

自分をうまく育てていかなきゃという気持ちが強かったりするのね。

ステキな人たちからいっぱい刺激をもらって、いろんなことを発見したりして、成長したいの。違うことも同じこともきちんと理解したいし、吸収したい。

すんごいずうずうしいのだけど、私は自分の可能性を信じているし、これからもすごい勢いで成長し続けていくと思う。
そうしなければ、という強い気持ちもちょっとあるし。でも謙虚でいたい。いつでも謙虚に潔い自分でいられたら、いいな。

今年はものすごく成長できたかな。去年よりもずーと成長できた。苦労も沢山しているけど、でもすごい勢いで成長している感じがする。だから、いい一年かな。もちろん、失敗したことも後悔したり、反省したりすることは沢山あるんだけど、それがあるからこそ成長できたの。そう思えば、どんどん失敗したり反省したりできればいいと思う。っていうか今も試行錯誤の連続ですけどね。

毎日、悩むことも疲れることも沢山あるけれど、それでもいつでもまっすぐな自分でいられるようにと願う。
誰かのせいにはしたくない。自分が生きているのは自分の責任でいたいのだ。
自分の価値感で、自分を納得させたいの。

自分が自分を好きでいられるためにならなんでもするつもり。
ちょっとくらいいびつでも、損したってかまわないの。
とにかく、自分がステキだなってことを積み重ねる。こういうひとになりたいっていうのを真似する。それで自分はやっとすてきな人になれるのだと思うんだもん。

こんなの当たり前って思うかもしれないけどね、そういう当たり前のことをきちんとやるのがどれだけ難しいか。それを深く感じているの。

まだわかんないことが沢山ある。
沢山あるから、嬉しい。ドキドキするし、がんばりたいって思うし、努力できるのかな。

豊かで、余裕のある、沢山の人にシアワセを感じてもらえるような格好いい大人になりたいの!
で、沢山の人に助けてもらえるような、そんな人でもいたいと思う。これはすでにクリアしてるけど続けるのが難しいのよね。
みんな、これからもよろしくね。

すてきな人でいること

気がつけば、12月も折り返してました。はやいよーー。
マイペース、マイペース、ヤッホーッヤッホー♪!

いつもいつも、そのままの自分でいることが大切だと思う。
楽しむこと、自分にとって心地いいことを常にしていたい。

自分をうまく育てていかなきゃという気持ちが強かったりするのね。

ステキな人たちからいっぱい刺激をもらって、いろんなことを発見したりして、成長したいの。違うことも同じこともきちんと理解したいし、吸収したい。

すんごいずうずうしいのだけど、私は自分の可能性を信じているし、これからもすごい勢いで成長し続けていくと思う。
そうしなければ、という強い気持ちもちょっとあるし。でも謙虚でいたい。いつでも謙虚に潔い自分でいられたら、いいな。

今年はものすごく成長できたかな。去年よりもずーと成長できた。苦労も沢山しているけど、でもすごい勢いで成長している感じがする。だから、いい一年かな。もちろん、失敗したことも後悔したり、反省したりすることは沢山あるんだけど、それがあるからこそ成長できたの。そう思えば、どんどん失敗したり反省したりできればいいと思う。っていうか今も試行錯誤の連続ですけどね。

毎日、悩むことも疲れることも沢山あるけれど、それでもいつでもまっすぐな自分でいられるようにと願う。
誰かのせいにはしたくない。自分が生きているのは自分の責任でいたいのだ。
自分の価値感で、自分を納得させたいの。

自分が自分を好きでいられるためにならなんでもするつもり。
ちょっとくらいいびつでも、損したってかまわないの。
とにかく、自分がステキだなってことを積み重ねる。こういうひとになりたいっていうのを真似する。それで自分はやっとすてきな人になれるのだと思うんだもん。

こんなの当たり前って思うかもしれないけどね、そういう当たり前のことをきちんとやるのがどれだけ難しいか。それを深く感じているの。

まだわかんないことが沢山ある。
沢山あるから、嬉しい。ドキドキするし、がんばりたいって思うし、努力できるのかな。

豊かで、余裕のある、沢山の人にシアワセを感じてもらえるような格好いい大人になりたいの!
で、沢山の人に助けてもらえるような、そんな人でもいたいと思う。これはすでにクリアしてるけど続けるのが難しいのよね。
みんな、これからもよろしくね。

出逢い続けること=成長していくこと

先日、友人からとても興味深い本を頂いたのダ。

その本の冒頭には「旅とは新しい世界と出会い、その意味を考え、答えを探しながらまた次の出会いに向かっていく。学校そのものである」と書かれていた。

創造の旅。

生きることは旅を続けることだとわたしも長い間思ってきたので、とても勇気付けられた。
なんだか、じーんとした。あったかい。
やっぱり個性的な人の考えや話を聞いたり、読んだりするのは面白い。知らないことを知るのは楽しい。
自分がちっぽけな存在であることがわかるし、いつもとは違う視点を学ぶことで世界が広がっていく。
なんてわくわくするのだろう。このわくわく感を一生持ち続けていたいと願う。

新しいものとの出逢い。ステキ。
でもそれ以上に、友人が私のためにこの本をプレゼントしてくれたことが、単純に嬉しかった。

そして別の友人もまた、ステキなコンパスをプレゼントしてくれた。旅に出た時に迷わないように。人生に迷わないように、なのかな。

本当に嬉しかった。

わたしは誰かにプレゼントを選ぶのが好き。
そして頂くのもとても好き。なんだかちょっと照れちゃうけど、何気ないものをたびたびプレゼントしてくれるのが好き。たとえば、父が持って帰ってくるお寿司のおみやも好きだし、チョコレートやケーキなんかを頂くのも好き。逆にわたしはよく花を贈る。花束を選ぶのが好き。それから、ワインやシャンパーニュをプレゼントするのが好き。たまにはガチャガチャやおまけつきのお菓子なんてこともある。カードを書くのも好き。

世の中にはすごい数の人がいて、偶然か必然なのかはわからないけれど、出逢う。もしかしたらそれは親子かもしれないし、友人かもしれないし、恋人かもしれない。はたまた双子なんてこともアリね。運命じゃない人もいるかも。
でも沢山の人と話をすることで、違う意見と視点と出逢う。そして自分が変わっていく。
私が今までに出会ってきた人はとても才能があり、人間としてすばらしい人が沢山いて、だからこそ今の私があるのだと思う。わたしは本当にツイている。そうじゃなかったらうまく説明がつかない!

わたしがしているのは、ステキな人たちからもらった何かを誰かに伝えていく。ただそれだけなんだと思う。

私はひどく臆病だけど、それでもたくさんの失敗を乗り越えて、きちんと成長していきたい。
だから、旅を続けるし、人と出逢い続ける。

やっぱりそれしかないじゃない、と思ったりする。

出逢い続けること=成長していくこと

先日、友人からとても興味深い本を頂いたのダ。

その本の冒頭には「旅とは新しい世界と出会い、その意味を考え、答えを探しながらまた次の出会いに向かっていく。学校そのものである」と書かれていた。

創造の旅。

生きることは旅を続けることだとわたしも長い間思ってきたので、とても勇気付けられた。
なんだか、じーんとした。あったかい。
やっぱり個性的な人の考えや話を聞いたり、読んだりするのは面白い。知らないことを知るのは楽しい。
自分がちっぽけな存在であることがわかるし、いつもとは違う視点を学ぶことで世界が広がっていく。
なんてわくわくするのだろう。このわくわく感を一生持ち続けていたいと願う。

新しいものとの出逢い。ステキ。
でもそれ以上に、友人が私のためにこの本をプレゼントしてくれたことが、単純に嬉しかった。

そして別の友人もまた、ステキなコンパスをプレゼントしてくれた。旅に出た時に迷わないように。人生に迷わないように、なのかな。

本当に嬉しかった。

わたしは誰かにプレゼントを選ぶのが好き。
そして頂くのもとても好き。なんだかちょっと照れちゃうけど、何気ないものをたびたびプレゼントしてくれるのが好き。たとえば、父が持って帰ってくるお寿司のおみやも好きだし、チョコレートやケーキなんかを頂くのも好き。逆にわたしはよく花を贈る。花束を選ぶのが好き。それから、ワインやシャンパーニュをプレゼントするのが好き。たまにはガチャガチャやおまけつきのお菓子なんてこともある。カードを書くのも好き。

世の中にはすごい数の人がいて、偶然か必然なのかはわからないけれど、出逢う。もしかしたらそれは親子かもしれないし、友人かもしれないし、恋人かもしれない。はたまた双子なんてこともアリね。運命じゃない人もいるかも。
でも沢山の人と話をすることで、違う意見と視点と出逢う。そして自分が変わっていく。
私が今までに出会ってきた人はとても才能があり、人間としてすばらしい人が沢山いて、だからこそ今の私があるのだと思う。わたしは本当にツイている。そうじゃなかったらうまく説明がつかない!

わたしがしているのは、ステキな人たちからもらった何かを誰かに伝えていく。ただそれだけなんだと思う。

私はひどく臆病だけど、それでもたくさんの失敗を乗り越えて、きちんと成長していきたい。
だから、旅を続けるし、人と出逢い続ける。

やっぱりそれしかないじゃない、と思ったりする。

愛されるということ

今、スマステーションをたまたま見ていたら、木村拓哉特集が流れてきた。
超一流のひとたちが彼を絶賛している。

きっと、彼を嫌いな人はいないんじゃないか・・・。
そう思うのに十分な人だと思う。

武士の一分、間違いなくヒットさせる。そういう気合を感じる今日この頃です。

何十年間もトップにいる人。
器用な人。
きめ細かい人。

恐ろしくバランスがいい。

愛される理由のある人だと、私は思う。
(そうでなければ、10年もトップを走るのなんてムリ。やっぱり彼は今でもトップスターだよね)

一方、自分はどうだろう・・・なんて考えてみた。
わたしは誰かをシアワセにすることが出来るのだろうか、なーんて想像してみる。
全然自信ないな。
いつもいつも、周りの人に助けてもらってばかり。
誰かを傷つけてばかりいる気がする。無意識のうちに。

でもいつか、わたしだって沢山の人にあったかい、シアワセな気持ちをプレゼントできるようなひとになりたいって思う。まっすぐに、そう願う。

だから、いつも暖かく私を見守ってくれてるみなさん、いつか恩返しができるようにがんばるね。
それまで気長に待っていてね。

つーか、いつも同じことばっかり言っていてじぇんじぇん進化していなくてお恥ずかしいです。気持ちだけは、やる気だけはいつもあるってことで・・・。うふ?

エビちゃん系可愛い女子観察記録とお願い

ますます寒い東京になってまいりました。あっという間に12月です。あっ、ほんまちゃんです。

最近、日に日に可愛いエビちゃん(ほんまちゃん注;女性誌CamCamのカリスマモデル、マックのエビバーガーのCMしてます)系女子が増えている気がいたします。
都心では道を歩いていても、スタバでお茶していても、「かわいいー系女子」がガンガンみつかります。メイクもファッションも完璧です。
特にクリスマスが近いからなのか、男前系のほんまちゃんには恐怖の季節がやってきました。ヒィィィ。

でも、やっぱりかわいい子はいいですよね。美女も。美しいものは女子から見ても本当にステキです。気分はすっかりオヤジ!思わず道を歩いているステキ女子には「かわいいっすね!」と心の中で賛辞の言葉を惜しみなく送りたいと思います。パチパチパチ。

女の子は褒められるともっともっと可愛くなります。というわけで、ほんまちゃんが提案したいのは、もっとかわいいを声に出してみよう!計画でございます。おおおっーー。

別にですね、その人のことが好きでなくても「かわいい」はいうべきです。それだけで世の中の女の子をどれだけシアワセにできることか!彼女達は日々ものすごい努力をしているわけですよ。そりゃもちろん楽しみながらなんですけど、でもすごく前向きに美しくあろうとしているし、仕事もがんばってくれています。ほら、隣でものすごく真剣な顔して書類を作ってくれている同僚がいませんか?あなた宛の電話を取ってくれているのは誰でしょう?彼女達はとても優秀な上にがんばりやさんなんです。これはですね、完璧に日本国の宝であると思うわけです。

でも嘘はいけません。相手のいいところを見つけて褒めるのが大切ですからね!そして、ほめ上手デビューをしてみてはいかがでしょうか。自分が何かうまく行った時にも一歩ひいて、自分のことをサポートしてくれた周りの人に「ありがとう」と自然にポロッというと、あなたの高感度はかなりUPすると思われます。

私が観察したところによると、ステキ女子は自然とこういったことが出来るのに、男子においてはこの実行率がやや低めであると思われます。もちろん、高倉健のように渋さを売りにしたい方にはお勧めできませんが、それでもこれができるとポイント高いですよーー。

そして、これまたよく言われるのですがエレベーターで開くボタンを押しつつ、扉を手で押さえて「どうぞ」と女性を先に降ろしてあげる。これもかなりポイントが高いと思われます。よくガールズトークで話題になりますから。これもあくまでもさりげなくないといけないのですが、意外と簡単に出来ることなので、少しずつ練習していって、まわりの女の子を少しでもシアワセにしてあげていただきたいと思うわけであります。

そんなわけで、今年の最後の目標として、わたしと、そしてわたしのまわりのお友達をシアワセにしてあげていただきたいな、と切に願うほんまでございます。

未来

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いつも未来と現在を見つめながら、生きて行こう。

最近、強く感じていること。それはこのヒトコトが表しているように思う。
もちろん過去は、現在や未来への根拠にはなるけれど、でも過去を一番大切にして生きていくことは私にはできないし、それを良しとしないのがほんま流なのだと思う。
私の持っている過去は本当に大切で、そして幸運、幸福に包まれているけれど。そんなものにしがみついたら終わりだ。

正解はひとつじゃない。
でも自分だけの答えはひとつだと思う。
結局、自分の人生で選択できるのはたったひとつだと思うから。
どんなに選択肢を持っていたとしても、何を選ぶかはひとつ。そういう意味ではみんな平等。

選択肢が1つだろうが、100だろうが選べるのはたったひとつ。
いつかこれだ、という答えが見つかるのかな・・・。

その時、私はどんな答えを選ぶんだろうか・・・最近はそんなことばかり考えている。
そして、どんな答えを選んでも大丈夫、と思ったりする。
根拠はないんだけど。

いろいろな人が私のことを評価してくださったり、アドバイスをして下さったりする。本当にありがたい。
そのひとつひとつを真に受けて、大切に、よーく考えて、自分フィルターを通して、取り入れさせてもらっている。今までもそうしてきたし、これからもそうすると思う。

自分のルールを持ちながらも、素直にアドバイスを受け入れて、行動していく。品性を失うようなことは絶対にしないし、本質をきちんと見つけ出せる人になりたい。

誰かに誤解されても、自分が自分さえ信じていれば、大丈夫だと思う。

私は嘘はつかないし、思ってはいないことを口に出すことはしない。でもだからといって、わたしの全てをこのブログに書いているわけじゃない。自分が伝えたいことがきちんと伝えられているかは常に不安。いつも考えているし、悩んでる。
そしてそれこそに価値があるんだと思ってる。こういう行為ってすごい成長できるから。

コツコツ積み上げてきたものだけがすばらしいとは思わない。
でも、コツコツ積み上げてきたものの中にすごいものがあるのは確かだよね。

すごいものはすごいし、それがわかる人でいたいと思う。
そしてそういう人でいたいと思うことは、常にいろいろなものの違いを感じていないといけないし、考えていなければいけないと思う。

先日、何でもとても的確に表現する友人が私のことを形容してくれて、その表現が本当でありますようにと思っているところ。
お世辞だったら泣くよ。本気で。Σ(´Д`;)

とにかく、これからもそんな人に向かって、一歩一歩がんばります。

自分の王様は自分!

たぶん、世の中にはたくさんの人がいて、そのひとりひとりがいろんなことを考えているのだと思う。
そしてきっと正解なんてなくて、不安でいっぱいで、希望に胸を弾ませて、毎日生きているんだろうって。

わたしも不満や反省や自分のいやな部分を発見して、立ち直れないかも・・・と思うことだってあるし、何もしたくない日だってある。

で、そういう時は何もしない。

したくないことはしないし、自分に正直に生きることにしてる。
いつからか、そんな風に決めてからは随分と楽になったし、幸せになったと思う。
要は自分しだい。

なにげなくしている選択を、意識してみる。
ただそれだけのことで世界はこんなに変わる。
それを今、実感しているのだ。

世の中のルールじゃなくて、自分の中のルールに従う。
だって、自分の王様は自分しかいないんだし。

第一、自分が信じている世の中のルールなんて世界じゃ全然通用しないんだよ。
それを知るために、世界を旅すべきだと思う。
かわいい子には旅をさせろ。
その通り!

経験がその人をつくる。
だから、王様はかわいい子には旅をさせなくちゃいけないの。

自分自身を教育して、育てることがどれほど大切なことか。
誰にもできないことをする。
誰かが決めたルールで戦うには飛びぬけた才能や環境や運が必要。
もしも、それを持っていなかったら?

・・・そこで戦ってはいけない。

これが私の今のところの答え。

社会が押し付けてくるルールにかじりつく意味ないんじゃないかな。

というか、そこで戦うのは不利だと思わない?
エネルギーを使うのはもったいない。

たとえば、ほんまちゃんは女の子で、学歴もない。頭もよくない。顔もスタイルも・・・。
天才じゃない。
世界に名だたる超有名企業で出世して社長になれる可能性はどのくらいだと思う?
ほぼ、ゼロでしょ。

もし仮にそれができたとしても、その努力を違う方向に向けたほうがもっと大きなリターンを得られると思わない?

だから、答えはそのルールでは戦わない。
違う方法を探る。
そうなるの。

試行錯誤。
なんて刺激的!わくわくすると思わない?

うまくいかないことを見つける。それを変えたいと思う。
そしたら、必死に考える。それが楽しいの。
自分の表現の仕方が、説明がもっとこうだったら・・・。
できることはたくさんある。
今ある状況を生かすにはどうしたらいい?
いいほうに捕らえたい。
捕らえられる自分でいたい、と思う。

だからわたしはバカでよかった。できるフリもする必要がないし、なんでも聞くことができる。
それはものすごく有利なことだと思う。あきれられても、うまくいかなくても全然かまわない。
そのぶん成長できるってことだもの。すごいスピードで。
女性であることで、その余地は最大限に広がっているもの。

自分が生まれてきて、生きているからには、自分にあった方法を見つけて、社会の役に立ちたい。
そうすることが最大限に社会に貢献するということにつながるのではないかしら。

ずるをして生きていかなくても、自分の信念に基づいて生きていけば、自殺なんてしなくて済むのよ。
履修不足の責任の取り方が自殺なの?
わたしにはまったく理解できない。
そんなことで死ぬ必要なんて全然ないのに。

そもそも、死ぬことで解決されることなんて何もないのに。
責任も取っていないし、余計迷惑よ。
甘えてるんじゃない?
わたしは厳しいといわれるかもしれないけど、本当にそう思う。

物事にはいろいろな見方がある。間違いもある。失敗なんて毎日繰り返す。

誰かに自分のことを知ってもらいたいとはもちろん思うけど、
でも、100パーセント理解されるのは無理よね。
だって違う人間なんだもん。
だから、わたしは人のことを100パー理解できるとは思わないし、そのことで絶望したりしない。
悩むかもしれないけど、絶望はしない。

それよりも違うことを楽しみたい。
いろんな人がいて、いろんな人のことを知りたいと思う。
素敵な部分を自分に生かす。
自分のよさを伸ばす。信じる。

そういう、心にいいことだけを選んで、時には試練を与えて、生きていけたらいいのにって思う。

そういうのが最高に格好いいと思う。

ちょっとだけ、欠陥なほうが幸せかもね。

たぶん、わたしはちょっと欠陥なヒトだと思う。

・・・なんでこんなこと書いているんだろ。(自分ツッコミ?)

いろいろと考えすぎてしまうことも、なんとなくものごとを予測できてしまうことも、すてきな友達をみつけられることも、いつもそのままでいることも、誰かを幸せにするのが好きなことも、嘘がつけないことも、素直な自分でいたいと思うことも、いつも失敗ばかりでひどく落ち込むのだけど、でもそれは怖くない(怖いけど乗り越えられる)ことも、自分のことを表現するのが下手なのも、不器用なのも、全ては何かが足りないせいかも知れない。

足りないから、新しいものを見つけるためにがんばる。
足りないから、素敵な友人に囲まれている。そして、いいところを吸収させてもらっている。
足りないから、考える。悩む。でも、悩めるってことは幸せなことなんじゃないか、と思う。

自分の前には常に選択肢があって、2つ、3つ、時には10の中から選べる。
選べるから、悩む。
生きることの心配がないから悩んでいられるのかな、と思う。

昔は選択肢が今よりもずーと少なくて、悩むことも少なかったかもしれないなぁとなんとなく、思う。

だけど私は、悩んだとしても今の、この場所から離れたいとは思わない。
これと同様に海外はとても好きなんだけれど、日本を離れようとは思わない。
今いるところが私の居場所だと思うから、そこで自分らしくがんばるだけだ。精一杯やるだけ。

海外はつねに休息の場所で、新しい自分をみつけることができる場所だと思う。
環境はヒトを創ると思うから。変わりたいときには、海外へ行く。行きたいと思うときに行く。
それがわたしのポリシーなのだ。

お金をうまく遣うことで、もっと効率よく稼ぐことが出来るようになるし、経験を積むことでもまた、成長できる。悩むことで、新しいことが分かるようになる。
すべてはうまく回っていると思う。この世のものはすべて循環しているのかな。

ひとりになることで、誰かと一緒に、家族と一緒にいることの大切さに気がつけるかもしれない。そして、ひとりでいることの大切さも。

そう考えると、欠陥人間も悪くないかな、と思う。

いつでも、成長の余地が残されている。
いつでも、何かがうまくなっている。
よくなるというのは、嬉しいこと。幸せなことだと思う。

でもいつかは、今よりもずっと素敵なヒトになって、自分の周りにいるヒトをもっともっと幸せにできたらいいなぁと思ってるのでした。

白と黒の攻防

いよいよ10月になってしまった。
なんだか本当に毎日あっという間に過ぎていく。

ブログをつけていると、自分の生活の記録が積み上げられていくという感覚が当たり前になる。
どんどん、すごい勢いで失われていく毎日の記録をブログで補う。
見たいときに引っ張り出すこともできるし、逆に何かしなくては、という半ば強引な恐怖感をも与えてくれる。

毎日色々なところに出かけていって、いろんなことをしているけど、それでも満たされない何かがある。
何が欲しいのかがわかんない。自分でも。
本来のわたしはものすごい怠け者だし、ほんとに仕方のない人なのよ。

よく人からはアグレッシブ、だなんていわれるけど、それはなんだか全然しっくりこない。
もしかして、みんなは私が考えているよりも、引きこもりなの?何もしてない?
・・・また失礼な発言をしてしまった。誤解を与えるな、これ。(笑) 当分、夜道を一人で歩くのはやめよう。

いつからかは覚えていないけれど、たぶん、物心ついた時から、世の中の理不尽さに何度も落胆させられた。道徳を、マナーを、世の中のルールを覚えていけばいくほど、その矛盾に押しつぶされていく。
世の中が自分に押し付けていく何かにしたがってはいけない気がしている。今も。

表面的に見えているものをまずは疑うくせがついてしまった・・。

でもその一方で、誰かを、何かを深く信じたいと思う自分もいる。
誰かに逢いたかったり、誰にも逢いたくなかったり、そういう起伏があるんだよね、わたしって。

自分のことをものすごく素直に感じるときも、ものすごく意地悪ないやなやつだと感じることもある。
大人だと思いながら、子供の部分を発見したりする。
そういう白と黒の攻防に戸惑いながらも、生きているような気がして仕方ない。

最近、親友が腹グレー(腹黒くはないが、ちょっとその要素を含むの意)という言葉を使っていて、とてもいいなぁと思った。たしかにわたしは答えを求めすぎる傾向がある。
もっと穏やかに、流されるのもいいのかもしれない。
出来るかどうかは別にして。

ものごとは難しいようで簡単で難しい。なくなくない?である。
発言しているうちにどっちがどっちだったのか分からなくなる。

それでも、そういう白と黒の攻防、長所と短所は表裏一体、バカと天才は紙一重、などというように、何かを失えばもうひとつの何かも同時に失う気がして仕方がない。

白を失えば黒も同時に失う。グレーを選べば、グレーしか選べなくなるのではないか、というのもあながち間違いではないと確信してる。

結局は自分が思うとおりにするしかない、とそんな答えになってしまう。

普通のはずないでしょーがっっっ!

告白します・・・!

実はずーとずーと長い間、自分は普通の人だと思っていたんです。
思っていたというよりは確信していたというか・・・。かなり強く。

でも、バンコクへ行く前にいろいろなお友達と逢う約束を入れてごはんをたべたりしているんだけど

あんたが普通のはずないでしょーがっっっ!

を連呼されております。

何もそんな怖い顔でいわなくてもいいのに・・・。ぷるぷる。

どうやら、興味ある分野に関してはものすごく探究心があるのに興味ないものに対してはどーでもいいんでしょ?ってゆーか全然しらないよねぇぇ、チラリ。 といわれてます。

その感覚、おかしいから!世間とずれまくってるから!・・・だって。えーん。

そ、そうなの?

胸に手を当ててみてるんだけど、一向に思い出せません。
いや、やっぱり、普通なのよ、わたし。

で、夜も眠れないほど(笑)考えて、その理由を発見。

(ほんまちゃんの思考回路)
ほんまは個性的な人が好き(というか興味がないとその人を覚えられない)→変わっている=普通じゃない→ヘンな人→わたしよりも変わっている→わたしは普通。

ほら、こういう理論ができあがるわけ。

やっぱりわたし程度で変人を名乗るのはずうずうしいのよっっ。

変わっているのは顔だけなのよ。見かけ倒しデス。やっぱり人の印象の99パーは見かけで決まる!のか!?

ほんまちゃんは断固としてたたかいますっっ。(エッヘン)

ちなみに、このブログを読んでくれている人の95パーがリピーターのホンマニアさま。なんだけど、みんなもそう思うよね?(強制!)

いや、やっぱコメントはいいから!
いいんで!

えっ、おっ・・・だから、やめてぇぇぇ。
余計なタレコミは・・・(笑)

いわかん

いつも いわかん を感じてる。

小さい頃から なんとなく いわかん を感じていたように思う。

違和感じゃなくて いわかん なのだけど。

つまりそれは、やさしい違和感。
ぼやーとした違和感。
違和感のように確信もなければ、すぐに消えてしまいそうになる不安定な違和感。

それが いわかん。

たとえばそれは、

双子であるという恵まれた境遇について
外人ぽい外見について
女性であることについて
若いことについて
いつも自分自身の考えをもっていることについて

いつも感覚で物事を決めている。分析とかそういうことはどうも苦手なのだ。

why me?

シンプルなことしか考えられない。
たぶん、単細胞生物だと思う。
でも、この なんで? は難しい。
いまだにきちんと解明できないし、答えらしきものを探し続けてしまう。

誰かから答えを教えてもらいたいとは思わない。
アドバイスや意見を聞くのは好き。誰かの話を聞くのは好き。
でも、その通りに動くことはできない。
自分がその通りだと思わない限り、絶対できない。

ずるい、かもしれない。

自分の中から湧き出してくるアイディアや感覚がわたしの全てのような気がする。
それは made in YES だと思う。
自分が見て、聞いて、経験した YES を集めてできたぼやけたデータとひもづいた感覚。

とか言いながら、もう27年もずーと本当の自分を探している。

自分を大きく見せたいとは思わない。嘘で固めた自分は恥ずかしい。嘘は苦手。
ただ、どうしたら自分をよりよく表現できるのかはなんとなく分かる。(と思う)
というか、どんな風に表現したらいいかもあわせて考えてる。
そしてそれは当然うまくいくことも、間違えることもある。

どんな場所でも、それにふさわしい自分自身でいられること。
たぶん私は、工事現場で食べるごはんも、高級なパーティーでも楽しめると思う。
色々なTPOを経験するのが好き。

人間である以上、最後は人間性でしかないと思う。
それは経験と幅で決まる気がする。
魅力的な人でいることが最大の武器になると思う。

そのままでいたいのに、誤解されることもある。
幸か不幸か、それはたいていいい方に誤解される。
実物の自分はたいしたことが無いのに。

どうしたらもっと、成長できるか。
どうしたらもっと、自分らしくいられるか。

色々な人と出逢うたびに、その人のいいところを見つける。
見つけて、吸収する。なんでその人が素敵なのか、を探る。みつける。

そうすることが好きだと思う。

ありがたいことに誰かを妬んだり、うらんだりはしたことがない。
ちょっとだけ羨ましく思うことはあっても、すぐに忘れている。
そんなことを考えている暇はない。自分のことで精一杯なんだもの。

今ある環境で、好きだと思うことにベストを尽くすことが私の役割だと思う。

どんな人にだって、悩みはあるし、いいことも悪いこともある。
人生は平等じゃない。環境も境遇もまったく同じ人なんていない。比べても仕方ない。
だから妬んだところで仕方無いと思う。それは何の役にもたたない。成長にならない。

ただまっすぐに前を見て歩いていくことができたらいいなぁと思ってる。
その羅針盤が実はこの いわかん なのかな、と思う。

結論、1 month Trip の予告です。

先月末から今月にかけて、仕事である決断をした。
この決断でたぶん、わたしはもっと、今以上に成長できるんじゃないかな、と思っていたりする。

物事には色々な考え方があるし、正解はひとつではないはずだよね。

複数の人がいれば、複数の考え方が存在するし、それはきっとぜんぶ間違っていない。
間違っているかどうかは、それを選択した時には分からないんだもの。

だから、わたしは自分がすべて正しいなんて思えないし、思っていないけど。
でも、少なくとも後悔しないように努力をしていこうと思ってます。
昔からの知人はみんな知っているよね。(笑)

私の大切な価値感は絶対に自分を裏切らないこと。
嘘をつかないこと。

大切な家族や友人や自分自身をいつも守ることが出来る人でありたいと思うのでした。

で、結局は何がいいたいかというと・・・
少し時間が取れるので、本当は4月に計画していた
1ヶ月くらいの旅行に10月付近に行くことにしました。半年遅れだ・・・。
プチ家出、プチ家出。
リフレッシュ、リフレッシュ!
うふふふ。

バンコクを基点にアジアをふらふらしていこうと思ってます。

もちろん、まだノープランだけどねん。うふふ。
かなり楽しみ。

モニターと自分。

今日、新しくモニターを買った。
ネットで。

最近、DELLが定番。
1年以上前に買った薄型ノートもそう。
今使っているこのマシーンはVAIOなんだけど、でもだんだんどこのメーカーでもいいなって言うのが今の気分。

すごい勢いで古くなっていくマシーンでいろいろなものを作る。
毎日対峙してる。

そんな自分を想像するとなんだか変な感じがする。

対峙じゃなくて、生活。

パソコンは私の中ではそこにいるのが当たり前。
ネットがいつでもつながっていて、それを使いこなしたいと思っている。

これが来たら、デスクのスペースが大きくなる。
大きい画面にしたから、いままでよりもストレスなく仕事ができるといいな。

自分の作ったものがいいものかどうなのかはよくわからない。
うまく行く時もあるし、行かない時もある。
というか、ほとんどうまく行かないことのほうが多いのかな。

プロは言い訳はしない、らしい。
今あるもので、すばらしいものをつくる。
なんとかするのが本物なのだそうだ。

ちょっとだけ、ドキッとした。

わたしはプロにはなれないかも。
感覚で生きているから。
それを系統立てて説明できないから。

でも、プロにならなくてもいい、と思う。
みんながプロを目指す必要なんてなくて、もっと自由でいたらいいのに、と思う。

ただ、作りたいから作る。
ただ、やりたいからやる。

そんなスタンスが私にはちょうどいいのかな。
想像できない方向に進むことはできないなぁ。自分が信じる方向にのみ歩いていく。

あっ、でも仕事は別だよ。
お金をもらって働いている以上は全力で取り組む。
すばらしいもの、期待以上のものを作ろうと努力するのが好き。
というか、好きなことを仕事にするために努力する。
好きな方向へ持っていくように努力する。

わたしはずーと、何かを考え続ける癖があるみたい。
そして、周りの影響を受けやすい。
だから、近くに置くものは全部自分で選ぶ。

今回のモニターも少しずつ自分になじむように使いこなしていけたらいいなぁ。

酔ったついでに・・・

おほほ、ほんまちやんです。
なんだか酔ったついでにつらつらと日記を更新しちゃおうっと。

ひとりごと、ひとりごと。

なんだかやっぱり同棲はいいですね。今のところ。
快適だし、ちょっとした刺激受けまくってます。
ふたごのDNAのよさはお互いがよい影響を与えられるってところかも。

さて、今日は語っちゃうぞーー。(笑)

最近気づいたのだけど、私ってば本当に不器用なのでございます。
たぶん、スマートさには縁がなくて、いつもボロボロになっている気がする。
全力ダッシュの繰り返し。まぁ、たまに休んでるけど。ははは。

頭では、こっちに進めば怪我が少ないんじゃない?と分かっているのに、変わらない自分が許せないのだと思う。簡単そうな道を選ぶ自分を軽蔑しちゃうのだ。罪悪感。ほんと、あほだね。
小さい頃から、リズム体操もそうだけど、頭ではわかっているのに、そうできないわけですよ。

簡単な道は選べない。
でも傷つきやすくて、もろいのに、妙にチャレンジャーだったりするの。

何だこの人、みたいな。自分ツッコミ。

だけど、おかげでいつ死んでも後悔はしない。すると思うけど、しないと言わせて。
私は○○したかったのに、だれかのせいでできなかったなんていいわけはしない。
そんな生き方はできないもん。
人生には結果がすべてのこともある。
いいわけなんて探せばいくらでもあって、だからこそ言い訳ではなくて実行や結果で判断されるべきなんだよね。

だからといって、ひとりきりで生きているわけじゃないからこの考え方は危険でもあるけど。
自分も大切だし、周りの人もすごく大切。
自分の生きている価値は周りを支えられたり、助けたりすることができるかどうかだと思う。
頼ったり、頼られたり。それが基本。
でも、いつも何かを与えられ続ける自分でいたくない。

きっとね、私は自分で生きていくための能力は自分自身で持っていないと気がすまないタイプなの。
誰かに寄りかかることで得られる安心感みたいなものだけでは幸せになれなくて、それに気がついてしまっているからこそ、可愛くない。

素直じゃないのよねーー。

ある意味素直すぎて、ある意味素直じゃない。

毎日、すごい勢いで変わっていく自分に戸惑うし、ちっとも変われない自分にいらだつこともある。

きっと、自分には何の才能もないし、だからこそ人と同じ道は選んじゃいけないと思っていて、そのダメさを意識や前向きさや誠実さでカバーしようとしているのかも。
私が鏡を見るのは、自分を好きだからではなくて、不安だからだと思う。
常に確認して、意識して初めて人と同じところに立てると思っているから。

今のうちに一杯失敗して、傷も沢山つくって、何度も死んだり生き返ったりしながら毎日ものすごいスピードで成長できたらいいのに、と思うのだ。

どんなときも前向きでいよう。

うー、今週は天気がよろしくないようですね。
でもこれを抜けたらグリーンの気持ちいい季節。

若葉がとても美しくて、ちょっとしたことが嬉しいです。大好きなシーズン。

さてさて、少しずつ新しいことをスタートさせています。
まだなれていなくて、やっぱりものすごくプレッシャーを感じていたり、神経を遣ったりしてます。
とまどったりね。

実はほんまはものすごい人見知り&小心者なんですわよ。
初めてのことは大抵心臓バクバク、頭の中は真っ白。ガビーン。
そんなわけで、ものすごく準備に時間をかけないとダメなタイプ。アドリブが天才的にうまい人を尊敬します。まじめに!!!

そんなこんなだけど、がんばってます。

自分が選んだことだから、あとは信じてやるだけ。

そういう感じです。

自分に自信なんて全然ないし、まぁ、そのままですわね。
ありのままの、自然体で毎日過ごしています。
嘘はつかずに、自分に正直に。素直な自分でいたいな。
気持ちよく生活するために、素敵だと思うものと付き合っていかないとね。なんでも自分次第。

きっとね、すべてがうまくいくわけじゃないし、沢山失敗もしちゃうと思う。
でも後悔はしたくないし、したことろで仕方がないし、うまく行く道を手探りで探していけばいいかな、と。

どんなときも前向きでいよう。

不安に負けない自分でありたいと思います。

にんまり。

特別な大人になりたいわけじゃない

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うーむ、またお休みが終わってしまう。
新しい一週間が始まる。

また週末に一週間の反省会。ひとりでだけど。

何かを考えることがすき。
悩むのも楽しい。反省も大切。
だけど、後悔はしないのがモットー。

わたしは別に特別な大人になりたいわけじゃなく、自分が幸せでいられることを考えてる。

小さい頃から、ずーと早く大人になりたいって思いながら生きてきたのに、
今は大人になるのが怖いと思うことがある。

ごまかすことがうまくなって、あきらめることが簡単になっていく自分に気がつくとひどくつらい。
でも、大人になるってそういうことかもしれないなぁって思うのだ。

だけど、それに逆らってでも、自分の力で自分を創っていくのが私のポリシーなのだ。

自分で自分の幸せが作れなかったら、いつも不安でいるしかないような気がするから。

誰かに頼るのは一見とても楽に見えるけど、やっぱりそれはわたしにとっては違うのだ。

なんといわれようとも、いつも自分自身で色々なことを決断したいと、そういう道しか選べないと思うのだった。

さて、髪を乾かして寝なくちゃ・・・。

写真はお友達のみわちゃんへのプレゼント。
そうでーす、今日はみわちゃんの誕生日なのでーす。

花を買うのが大好きで、いつもよさそうな花を自分で選び、イメージを伝えて花束にしてもらう。
担当の人が、センスがいい人かわからないので、あくまでもお任せっきりにはしない。
秋らしい、少し大人っぽい・・・でも短めでブーケのようにかわいらしいものにしてもらう。
ほぼイメージどおり。
でも、ちょっといやな客かな??

本当に、本当に、しあわせなのだ。

わたしは、今、とても幸せなのだ。

何も持っていないし、何もわからない。

わからなくて、いや、分からないからこそドキドキして何かを見つけたいと願い、行動する毎日がとてもうれしい。

偶然や必然や、色々と起こる出来事をものすごく前向きにとらえられていて。
すごく素敵な人が周りにはたくさんいて、大変なことも、失敗しても、嫌なことがあっても、がんばりたいって気持ちが湧いてくる。
毎日、ただ自分がしたいと思うこと、できることをひとつひとつ必死にやる。
ただそれだけのことなのに。

気がつくとその何倍もすごいひと、尊敬できるひと、好きな人がたくさん集まっていた。ということに気がつく。

今日は、今まで生きてきた中で何か大きな、スペシャルな事が起こったわけでもないし、いたって普通の日なんだけど、勝手に頭の中でメロディーが流れているような。そんな温かい1日。

でもだからこそ、そういう日に幸せだって思うことって大切なんだとわたしは思う。

誰にでも、明日死んでいなくなる可能性が数パーセントあって、そのパーセントの偶然や必然で出会うことができた人、仲良くすることができた人というのは極わずかなのだけど、それがどんな人たちかによって、その人の人生が決まっていく気がする。

だから、とても幸せでうれしい。

私はラッキーなんだよね。
運が良い、ただそれだけのことなんだ。

でも幸せ。

本当に幸せ。

嘘はつかない。好きな人と付き合う。何事も一生懸命に取り組む。悩んで、自分だけの答えを見つける。話し合う。相手を大切にする。
今までやってきたことは、間違っていなかったんだって確認できた1日。

仮に、私が誰かを幸せにできなくたってかまわないじゃない!
わたしは周りの人から幸せを貰っている。
そんな事実に気がつけたことが最高。

みんな、ほんとうにありがとう!

ただそれだけが言いたいんだよ。うん。

うまく伝わらないかもしれないけど。意味はないのだ・・・。てへへ。

顔写真を載せる理由

ネットライフももう随分長くなってきた。
中学生の時に部活に絶対に入らなくてはいけないルールになっていたので、
当時唯一のクーラー完備だった『パソコン部』に入ったのが始まりだった。
兄はすでにパソコン部の一員だったので、私たち(ひとみ嬢も一緒)は
かなり好き勝手にできた。
今考えれば、かなりいい選択だったかもしれない。

そもそも、あまり興味はなかったが、ちょくちょくパソコンを触るようになって
楽しさを覚えた。
やっとWindowsが出たばかりという時期でDOSもちょっとやってた。
ベーシック・・・(プログラムの基礎中の基礎)だったっけ。
でも、完璧に向いていなかった。まるでちんぷんかんぷん。
で、くわしい人に『なんでぇ~??わかんないよーォォ』と女の権力?をフル活用。
(女の権利というより、恐喝と言う噂も・・・)
教えてもらっていました。正確に言うとやってもらってた?(ごめんなさい)

先生もそのことに気がついていたのか、HP作成の要員に
選ばれたのだった。ウヒ。
MOに保存して写真を配置・・・運動会のまとめみたいなやつだった。

それこそ世間ではまだサイトなんてモノは認められていないような時。
高校になった時、初めて自分だけのMACを購入した。

---時は流れて----

そして気がついたら、ウェブの仕事をしていた。
そしてインターネットもメジャーになってた。
でも匿名で色々なクレームや気分の悪いことも起こった。(のを見た、聞いた)
良いことは匿名でいいとしても、やはり悪いことは匿名じゃまずいのではないか。
なんかずるい。卑怯だよ。
第一、日ごろ思っていることをバラす(公開)するのに、わざわざ見られちゃいけない
個人を特定できない状態にするのはいかがなものか。
と思っているわけなのです。隠す必要がないわけです。

うーん、うまく書けないなぁ。
伝わったかなぁ。
と言う気持ちでいっぱいですが、わたしはフェア-でありたいので、
顔写真を公開してます。
これが、信憑性と言う意味でも役に立っているかもしれないね。
身に来てくれる人たちとの距離も短くなっている気もするし。

そんなわけで、写真を公開しちゃってます。

あっ、でも匿名を否定しているわけではありません。
意見や考え方はひとそれぞれだしさ。
自分がこうありたいって思うのであればいいのではないかと思います。

まだまだやれるはず!

新しい価値を作り出して、社会の役に立つこと。

にせものの価値を、それらしく取り繕って販売して利益をあげる。
そういうのは私の目指すものとは違う。

便利だからお金を支払ってもいいということ。
魅力があるからお金を払う。
そういう、自分ならそれを買うか・・・と言う視点を
かなり大事にしている。

自分が欲しいものを売る・・・というのは基本中の基本だと
思っていて、逆に言うと小難しいことはわたしにはできないなぁと。

早く、自分が自信を持ってすすめられる何かを見つけたいし、
実際にそういう経験をしたいなぁと考えている。

まだまだやれるはず。
自分はこんなものじゃないでしょ
そう奮い立たせる日が必要なんだよね。

WHY ME ?

いつも思うことがある。
「WHY ME ?」
なんでわたしに?、という意味なんだけど、
この言葉はとても私の中で大切な言葉の一つなのだ。

どうして私は今ここにいるの?
どうして今これをしているのか
なぜ成功したか
なぜ失敗したか
・・・うんぬん。

哲学ぽいといえばそうかもしれないけど、
すべての基本となる言葉のように感じるから。
理由があったほうが人間は納得しやすい。
それが嘘だろうとなんだろうと。
納得できる理由をみんな求めているのだと思う。
だから、WHY ME?なのだ。

私はいつでもこの問いに答えられる人間でありたいと思っている。
できる限り自分の意見を持っていたいし、人に説明できる人でいたいと思う。

今日も何度も自問する。
「WHY ME?」

本当のライバルは自分自身

今日、漫画を買った。
私が単行本でよく買うのは、槇村さとると一条ゆかりだ。
なんでもやってみたがりの私だけれど、漫画家になろうと
思ったことは無いなぁ。
今始めて気がついた。
・・・それはいいとして。
わたしは頑張って生きていく話とか、いかにも共感できちゃうような
リアルだけど、ちょっとあこがれチックな話が大好きである。
ゆえに、林真理子も私のテリトリーにある。

ドラマや漫画の主人公たちに感情移入することはできる。
グレース・ケリーやオードリー・ヘップバーンだって大好き。
ケイト・ウィンスレットやリザースプーン、その他イロイロな人に憧れる。
だけど、
わたしは憧れの人にはなれない。
なれるとしたら、それに近い自分だけ。
私はわがままだし、すぐに甘ったれるし、弱音だって悪口だっていう。
はっきりいって嫌なやつだ。

とくにすごいこともなしえていないし、やりたいことも(死んでもいいほど強い志もない)ない。
こんな風にしたい、なんて想像してみるけど、簡単に手が届きそうなものですら
すぐにあきらめてしまう。

誰かと比べることに飽きてきた。
でも自分磨きってやつの意味もよくわからない。

妙に気取っている自分だってあまりいいとは思えない。

だけど、いつか誰かから憧れてもらえるような、
でも実は自分が一番自分自身を誇れるような人になりたいと思ってる。
なるんだって思っている。

同年代の人が有名になるたびに、私も何かをつかみたい、そう強く思う。
そしてちょっとくやしくなる。

そんな時、いつも思うのが、ライバルは自分自身だけだってこと。
まずは自分に勝たなくちゃってそう思うのだ。

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