お鮨を通して、日本の旬を感じる

昨夜は久しぶりに逢えた親友のお誕生日を大好きな四谷すし匠で。
わたしはもう何年もお鮨を通して、日本の旬を感じてきたように思うのです。

春が近づいてきて、貝類が多い季節になると、ぴょんぴょんと飛び跳ねたいくらい
ワクワクするし、まさに芸術といえるお鮨を堪能できるのは、わたしにとって
世界一贅沢で官能的な時間でもあります。

この店を知ってからもうすぐ10年なのですが、まったく色褪せずに
いつ行っても驚きに満ちていて、自分の席が用意されているという
ことに感謝したくなります。
(予約をしているのだから当たり前だ、という指摘は置いておいて)

繊細で美しいこれ以上のものがこの世にあるのか、と今でも本気で
そう思っています。そのくらい圧倒的な何かがここにはあります。

わたしにとっては、どんな憧れのブランドBAGを手にするよりも
ここで食事することのほうがプライオリティーが高い。

そして、自分が好きなものを食べるために自分でお金を払うこと。
それ自体がとても大切なことのように思うのです。

たとえば会社のお金で接待で食べる食事はそれはそれでいいもの
ですが、時にそれは自分の見る目を濁らせてしまう気がします。
本当にほんとうに嬉しいし、幸せなことだけれど、どこか他人のお金
という算段や借りをしている気になるので、お鮨に集中できない気が
します。そればかりというのはよろしくないかと。

本当はひとりでお鮨と対峙するのがベストなのですが、
誰かと喜びを分かち合う事も愉しいし、本当にお世話になった方と
お礼のような気持ちで一緒に訪れることが多いです。
どちらにせよ、とてもとても大切にしたいと思う人たちです。

そういう、特別なお店をもつことの贅沢をちょっぴり大人になると
誇りに思ったり、宝物のように感じることがあるのです。

なので、どんな店でもいいから、自分が本当に好きだと思う店と
出会って、時を重ねる楽しみがあること。
そういう体験を多くの人にしてほしいなぁと食いしん坊代表として
思ったりしています。

新しい店もいいけれど、変わらず通う店がある愉しみ。
信頼や品性ともどこかつながっている気がします。

そして、それが今の自分を作ってくれているのかな、と
思ったりする夜でした。

 

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