ヌーヨーク通信 part2

ヌーヨーク通信パート 1はこちら。ぜひあわせてチェックしてね。

NYC

日本に戻ってからもNYの景色を、雰囲気を思い出すことができる、ということを発見できた時は正直嬉しかったなぁ。NYは今まで行ったどこの都市にも似ていなくて、でもしいて言うのならば、東京に近いのかなって。1ブロックごとに変化する街は興味深かった。とにかく何でもあるという街はいいものも悪いものもすべてごちゃまぜで、それはそれで発見することがたくさんあったの。

NYC

地下鉄は意外と安全でした。低所得者向けの交通手段なのだろうけど、わたしは好き。だってその国の雰囲気を味わうことができるから。わたしは最上級のものだけでなく、すべてを知りたいと思う。だって美しさを知るためにはそうじゃないものも知らないといけないんじゃないかって思うから。
「高いもの=いいもの」という発想は楽かもしれないけれど、つまらない。何でも知りたい、という好奇心が今のわたしを創ってくれていると思うから。タクシーも楽で好き。特にマンハッタンはどこも近いから、タクシーはすごく便利よね。場所をいうのではなくて、通りを伝えるというのも新しく発見したことのひとつ。

NYC

NYはいろいろな国の人が集まっている国だから、とてもシンプルなシステムになっていると思う。たとえば、地下鉄は1回2ドル。コレはどういうことかというと、アメリカ人のようにおおざっぱおおらかなタイプの人種だと誰がどうしてもその答えにしかならない、という仕組みが必要なんだと思う。
日本みたいに複雑にしちゃうと、考え方や行動範囲やもろもろの要素が違う人たちが集まると話し合いにならない。前提が違うんだもの。複雑なシステムを作り上げるのがとても難しい、とそういうことなんじゃないかって。だから自然とシンプルにせざるを得ない。

そういうことを理論じゃなくて肌で感じられたことはとてもよかったなぁって。
白か黒かっていうことも、グレーという判断をつけることが難しい、つまりはグレーを容認するだけのキャパがないのではないか、と。友人のオーストラリア人Mとディベートしていたときに、ほんまちゃん(日本人)は白黒という判断をしないよね、なんて話になったことがあったのを思い出した。
きっとこのグレーを容認するというのは、単一民族だからできることなのかなぁと。私は今でも白か黒かなんてどちらかになるようなことはほぼないと思っているから。物事は常にグレーだと。そのグレーが白寄りか黒寄りかというだけなんじゃないか、と。

NYC

けれど、同時に個人のパーソナリティについても考えた。
人はきっとひとくくりにはできない。どんな人種だっていい人も悪い人も、感じのいい人も悪い人も、頭のいい人もそうでない人もいる。だから人種というある程度のカテゴライズをしたとしても、最終的には「パーソナル」で人を見るのがいいと思う。というかそれがすべてだ、と。

わたしは、もっともっといろいろな国の人と話をしてみたい、と思うようになった。もっと自分の気持ちを相手に伝えられるように努力したい、またそういう人間関係を作って行きたいと。旅をするならいまのままでの英語でもなんとかできるけれど、もっとレベルアップしなきゃ、自分の気持ちを表現するようなワードをもっと持ちたいなぁと。

人は分からないから不安になり、恐怖は暴力へと変わるのではないかしら。それでも、やっぱりいろいろな人を理解したいし、好きになりたい、と思う。そういう生き方がもっとも贅沢な生き方だと思うから。

 

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