白洲フィーバー

明日最終話を迎える「白洲」シリーズ。

ついつい今日も見てしまった。
伊勢谷くんの英語は発音が良すぎて、わたしにはつらい。

発音じゃなくて英単語のレベルかもしれないけれど。

政治で使われる英語は難しい。そんなの日ごろつかわないっしょ、と思わずTVを見ながらツッコむ。というほど英語ができるわけじゃないですけど。

あー、政治や宗教の話ができるくらいのレヴェルになりたい。といいながら、ほとんどそんな機会もないんだから、パワーを使うだけ無駄、と冷静に思う自分もいる。

白洲ファミリーにはたくさんの伝説が残っていて、それを尊敬してやまない人がいるのも知っているけれど、わたしはその深さはよくわからない。美しさについてはなんとなくはわかるんだけれど。

そもそも逢った事もない人のことを尊敬するのは、わたしの主義にあわないのだ。美しそうなものと本当に美しいものとは違う。逢いたいと思う人と逢っている人とは当然同じベクトルでは判断できない。

逢いたいと長い間想っていた人と出会い、がっかりすることもあれば、崇高な幸福感に包まれるときもある。といいつつ、自分にはそれを知るほどの器がないのかも、と想ったりする。

人は誰も生きているうちにすべてを完璧にこなすことなどできない。近づいたり、離れたり、常に変化するものを自分の価値に照らし合わせて判断するしかないのだ。

私は天邪鬼だから、誰かが自分を失うほど溺愛するものには、拒否反応がはたらく。けれど、もうすでにこの世にいない人を想うのはあまりに不利だ、とも想う。けれど、少なくともこの作品はとても好きだなぁと思う。作り手に、こだわりや真剣さや本質があるような気がするから。だから、最終回の明日は愉しみにしている。いいものをみると心がとても澄んで、ハッピーになれる。

いつか、美しいものを生み出したいと思うのは決まって、美しいものと出逢ったときだなぁと思う。

有名、無名を問わず、本当に自分が好きだと想うものに囲まれて生きていく人生は最高の生き方だとわたしは思う。

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