カンカクノヒト

わたしにはフツウがよく分からない。
いつも自分はあくまでも普通だと思っているんだけど、ヒトからはよく笑って否定されてしまう。
そのたびに「じゃあ、普通ってナンなのよ、いってみてよぉぉぅ」と絡んでいる。
でも的確な、ほんまちゃんが納得するような答えは誰もくれなくて、だからわたしは今でも自分のことを普通だと思っている。
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後は自分のカンカクを第一優先にしてるの。理由とかじゃなくて「カン」ね。理由は説明できないことばかりなんだけど、でもそのカンカクをわたしは最も信じてる。何かを判断したり、感じたりする時にはこのカンカクがほんまちゃんを作ってるのだ。何かを買うときもそう、自分の将来を決めるのも、仕事でも、友人でもそう。
根拠なんてまったくなくても、自分のカンがそういってるから、という理由はかなり多い。というか、ほとんどそれなのだ。ハハハ。根拠のない自信ってやつがウリですが何か?
人間って本当に不思議。たぶん、ヒトって生き物はそんなには大きく違わないと思う。無名も有名も。どんなに自分が憧れているヒトだって、嫌いな人だって、うーんと年上だって、赤ちゃんだって、実はちょっとしか変わらないんじゃないかって思う。
変わるのは修飾語、その人を取り巻く修飾語なのだ。
だからわたしはどんなに有名な人に出逢っても物怖じしない。どこに行っても物怖じしない自分でいたいと思って、自分自身をそういう風に作り上げてきたから。ただし、ものすごく憧れているヒトとかだと緊張してしまうんだけど。(笑)これだけはムリ。
パッケージだけが大きくならないように、またみすぼらしくならないように、中身とパッケージがぴったりと寄り添うような自分が理想だ。
今の自分となりたい自分と、ちょっとした調整を楽しんでいる。それでもたまにそれに苦しさを覚えるんだけど、ね。苦しむことは大歓迎。悩むってことはまだまだ成長できるってこと。新しいことをやっているというしるし。
そのちょっとした差が大きい。
ちょっとしたことに気がついて、行動できるか。気がついたことをやるべきことだと信じられるか。
そういうことなんだと思う。
わたしは話すことがすごく苦手なの。表現することが苦手。
頭の中でよーーく考えて出したものでないとうすっぺらい言葉になってしまって、自分の本当の気持ちが伝わらない気がしてしまう。
あとは自分の頭の中にある気持ちにぴったりの言葉がないの。だから話をするときはうまく話せない。
うまくできたなぁと思うことは熟考してようやく搾り出した結果なのだ。
だだだだーー、と一気にまくし立てられるのって苦手。うまく返事を取り繕うことができない。
そしてウソは嫌い。というよりウソがつけないタイプだから困る。ということでウソはつかないことに決めている。可能な限り。
こうしてブログにいろんなことを書き続けているのも、わたしの性格に合っているからなんじゃないかな。
文章なら何度も何度も考えて、しかも違うと思ったら書き直せる。
試行錯誤してやっと一人前なほんまちゃんです。ニヒヒ。

Comments

  1. lucky you!
    ほんまちゃんは普通じゃないと思う。
    一般の普通より全然恵まれてると思う。
    plus it’s hard to define 普通 でしょ?
    ‘cause everybody has a different standard and defines 普通 differently.

    Reply
  2. yukiさん、こんばんは。
    えーー、恵まれてませんよ。
    だって我が家は普通の家だもん。
    もちろん、幸運体質なのは自他共に認めているけど、幸運だろうと不運だろうと普通は普通だよ?
    でもまー、普通に基準がないわけで、人によっても違うし、感じ方も違うわけでこの議論は死ぬまで続くね、きっと。
    でもやっぱりわたしは普通です!(自信あり、ウヒヒ)

    Reply

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